【2022/6以降、スペース確保のため、archiveはダウンロード方式(PDF)にしております】

 

 

「金を求めて」の旅                           / その5

2022-11-15(2013年入学) 髙松  俊和

 

 

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学びのきっかけと、

            広がる好奇心

2022-10-15 (2022年入学) 山中 ひろき

 

 

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アニメで人生が変わって

しまったオジサン大学院生

2022-10-01 商学研究科  月岡 忠

 

 

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立教セカンドステージ大学のこと

 2022-09-15 (2012入学) 山本 和孝

 

 

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労働災害と設備投資

 

2022-09-01  小平  紀生

 

 

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「静かな

       リーダーシップ」

 

     2022-08-15 2021年度入学)村田耕次

 

 

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終戦記念日に思う

ー 昭和20年終戦の年に生まれ、喜寿を迎えました ー  

 

                         2022-08-01 (2015年入学) 廣瀬 秀徳

 

 

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コロナ禍に揺れる食と農業

 

2022-07-15 宗像

 

 

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東芝と西田厚聡さん(元東芝社長)

 

 2022--07-01 新貝 寿行

 

 

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人事管理と私

 

2022-06-15  (2019年修士課程修了) 山口 岳男 

 

 

 

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「こんな論文書きました」

 2022-06-01 (2015年入学) 鈴木 佳光

 

コロナ禍2年目の2021年は、明治大学大学院では商学研究科(実践商学)と経営学研究科(国際経営史)を聴講し、立教セカンドステージ大学(RSSC)では専攻科生として学生生活を過ごし、リカレント7年目を終了しました。今回はRSSCで取り組んだ商社マン時代の仕事(食料部門)に関する論文の概要を投稿します。

 

題名:食のイノベーション企業—社会的・文化的意義を中心に—

 

1. 目的と方法

「食のイノベーション企業」は新たな創出の主体として、食生活を簡便で、美味しく、楽しく、豊かにする企業目的をもって、製品の開発・サービスを消費者に提供する。日清食品と味の素は全く新しい製品を開発したブレークスルー・イノベーション企業であり、危機に直面した場合や課題を与えられた際にその対応を図ったはごろもフーズと北洋水産(現ホウスイ)はインクリメンタル・イノベーション企業といえる。こうした企業は21世紀の企業環境において、一層の重要性を増したイノベーションの在り方を考える先例として、さまざまな示唆を与えてくれるに違いない。この4社の社史を中心に調査・検討することを通じて、それぞれがイノベーションを実現した経緯を探り、企業のイノベーションを考える手掛かりとしたい。

 

2. 目次

序章 食のビジネスとイノベーション/第1章 チキンラーメンとカップヌードルを生んだ日清食品/第2章 うまみ調味料の発明と事業化に成功した味の素/第3章 ツナ缶シーチキンの代名詞はごろもフーズ/第4章 スケソウダラの洋上事業で名をあげた北洋水産/終章 企業を成功に導いたイノベーションの要因/ 主要参考文献

 

3. 概要

日清食品の創業・発展は安藤百福の人生そのものである。安藤は幼少期から祖父母に育てられ、商人として厳しく鍛えられ、大阪に渡ってからも、繊維業を中心に関西経済界のリーダー的役割を果たすことになる。大阪では優れた企業家、経営者との交流から安藤は多くのことを学び、色々な分野に手を広げる機会と人脈を得た。敗戦によりその事業の殆どを失ったが、チキンラーメンの発明という新規事業を48歳でなしえたということは、「簡便で、栄養があり、美味しく、安価な即席麺」を作り出したいという高い志、熱意、工夫、忍耐力を感じる。さらに、驚異と感じるのは、一介の中小企業がその販売元に大手商社3社(三菱商事、伊藤忠商事、東京食品・現カーギルジャパン)を起用し、取引条件として安藤の意向通り、受取りは現金決済、支払いは3か月手形を実行したという交渉力、経営手腕である。そして、13年後のカップヌードルの発明では、新しい時代の流れに沿ったファッション感覚や若者の食の文化を認識させる。 

チキンラーメンでは即席麺という新商品、新市場を創造し、まさしくブレークスルー・イノベーションを起こした。さらに、カップヌードルはカップ麺という即席麺市場の新しいカテゴリーを創出した。2021年はカップヌードル発売50周年にあたり、日清食品の創業者の「食に対する熱い思い」は、今なお全社員に引き継がれているようである。(左画像 出典:日清食品HP)


味の素は、池田菊苗博士と二代鈴木三郎助という2人の奇跡の出会いがブレークスルー・イノベーションを起こした第1の要因である。第2は池田博士のうま味調味料の発明に対して、多くの企業がその事業化に興味を示さず、二代三郎助のみがその独創性と優秀性を感じ取り、事業の将来性について大きな興味を持ち、新事業に挑戦してみようという熱意と気概を持った人物であったことである。第3は若い時期に無謀で無茶な行動を取り、仕事を顧みなかった二代三郎助を支え、最終的には再起させた母親ナカと妻テルの家族愛が事業成功の根本にある。そして、第4は新事業を推進する際、二代三郎助と実弟忠治と長男三郎のチームワークがあってこそ、成し得た事業である。「味の素」は1926年に帝国発明協会から、御木本幸吉の真珠養殖、豊田佐吉の自動織機と並んで、わが国の三大発明のひとつとして表彰されたが、真のブレークスルー・イノベーション企業である。

 

はごろもフーズは地元で水揚げされるビンナガマグロを原料として、ツナ缶の米国向け輸出企業として長年繁栄を続けてきた。ところが、1970年前後の日米貿易摩擦とニクソン・ショックによる円高・ドル安という経営危機が発生した際に、どの企業よりも早く国内市場への転換をはかり、新たなシーチキンブランドの販路を開拓するという、戦略を決断した二代後藤磯吉社長の経営判断は、食のインクリメンタル・イノベーション企業として評価されるべきだ。1985年のプラザ合意の影響でさらなる円高が進んだが、その際には、円高・ドル安をメリットとして利用して、今度は海外進出という戦略を展開し、グローバル企業として発展を続けている。

 

ソ連からスケソウダラの駆除・有効利用という問題解決を要請された商社と協力して、関係官庁に粘り強く交渉した北洋水産は、出光興産から購入したタンカー「日章丸2世」を改造した加工母船「鵬洋丸」を利用した洋上事業を成功させ、「三方良し」(ソ連・水産会社・商社)のバーター・トレードを実現させた。インクリメンタル・イノベーション企業として面目躍如というべきである。しかしながら、1991年のソ連崩壊により、本事業が終焉を迎えた運命を思うとき、政治経済体制が異なる国とのビジネスには、カントリーリスクが伴うという認識の必要性をも示唆している。 

 

4. 主要参考文献

味の素、1990、『味をたがやす:味の素八十年史』、凸版印刷。

出光興産、1970、『出光五十年史』、大日本印刷。

塩谷茂代、2018、『すごい缶詰150』、イカロス出版。

東京新聞・中日新聞経済部、2016、『人びとの戦後経済秘史』、岩波書店。

日清食品、2008、『日清食品創業者・安藤百福伝』、大日本印刷。             以上

 

 

IoT/DXの推進と日本型ものづくり

 2022-05-15 (2020年度 博士前期課程入学 : 富野研究室)  北島 昭一

 

2020年に明治大学大学院に入学したものの、入学式も無く、ガイダンスも無く、いきなり5月からのオンライン授業が始まって、当初は右往左往の連続でした。昨年度は、春学期まではオンライン授業が主流でしたが、秋学期になってコロナも落ち着き、一部対面授業が再開されました。単位も取得し、修士論文も書き上げましたが、このまま卒業してしまうのは何となくもの足りない気持ちになり、今年1月初めの修士論文提出は行わず保留にして、今年度は大学院に留籍することにしました。

 

コロナも終息に向かっており、4月から予定通り授業が始まり、本格的な対面授業が再開され、大学もやっとまともな状態に戻ってきた感じがします。やはり、教室での先生や他の学生と対面で議論していくのが研究生活には重要な要素だと思います。議論の雰囲気や、ちょっとした発言・言葉が研究には大きなきっかけとなります。授業は、商学研究科以外に、経営学研究科の授業も積極的に受けることにしました。経営学研究科は、若い学生以外に中小企業診断士や社会保険労務士など、様々な産業界で活躍されている社会人の方も多く、平日夜と土曜日に授業を受けられるので、価値観の違う方との議論もまた、新鮮です。

 

昨年度に書き上げた修士論文は、「生産財・機械メーカーにおける高付加価値経営」と題して、付加価値経営に関する経営学の理論と、実践知を対比する形でまとめました。基本的には来年までこのまま1年間塩漬け状態にする予定ですが、今年度の授業や研究で新たな発見があれば、内容を修正しようと考えています。

 

現在、授業と併行して新たな研究論文に着手しています。これが表題の「IoT/DXの推進と日本型ものづくり」です。様々な業界の中でIoT/DXの影響を最も大きく受けているのは製造業です。しかしながら、製造業のIoT/DX推進に関しては、実践手段が不明確なものが多く、また、学術研究も抽象的で漠然とした議論が多いように思います。そのため、各企業はIoT/DXをどこからどのように手を付けたらよいのか、判然としないというのが実情であろうと思います。

 

私も長年、製造業に勤務していました。また、私が企業生活を離れる前まで、製造業のIoT/DXに取り組んでいました。正直言って、その推進方法は暗中模索の状態でした。機械メーカーに勤務していましたので、生産材メーカーの立場として、顧客企業にどのようなIoT/DXの仕組みを提供したら受け入れてもらえるのか、一方で、顧客企業はIoT/DXをどのような手順で取り組んでいけばよいか、IoT/DXの解釈を含めて、なんとなくぼんやりした掴みどころのない状態が続いているようです。

 

そこで、この研究論文では、日本のものづくりの強みと弱みをどのように活かして、IoT/DX推進を行うべきなのか、その方向性を明らかにしたいと考えています。過去の製造業IT化進展の歴史、欧米と日本の産業構造の違い、日本のものづくり文化などを考慮して多角的な視点から目指すべき道を明らかにしたいと考えています。

 

問題意識の根底は、IoT/DXが日本の製造業に波紋を広げている混乱と迷走の問題があります。ものづくりを重視する人は、擦り合わせ型ものづくりや現場調整力に焦点を当てて、日本のものづくり力の強靭さを語ります。IoT/DXはあくまで手段であり、その普及ありきの議論は良い成果を生まないだろうと警告しています。他方、ものづくりの概念やその実態に懐疑的な人は、デジタル化に適応できない企業を批判し、経営戦略の重要性を語ります。IoT/DXの普及は、企業のビジネスモデルの変革を促し、ビジネスモデルの再構築こそがIoT/DXを進展させると反論しています。さらに、経済産業省に至っては、2018年に公表したDXレポートで、「DX=レガシーシステム刷新」という本質的でない誤解を生じさせ、混乱に拍車をかけているようです。加えて、日本のビジネス・ジャーナリズムもこの業界を振り回しています。日本は「デジタル敗戦」と嘆き、日本の製造業は、デジタル先進国と比べて周回遅れの様相を呈していると危機感を煽っています。対して、製造業関連の研究者は、「インダストリー4.0の進捗状況は、ほとんど空想の段階に留まっており、実態は空中分解している」と報告しています。 

研究論文では概念整理を含めて、日本のものづくりの特徴である「擦り合わせ」や「現場調整力」を根幹とする「ものづくり文化」をどのように活かしてデジタル技術の導入を進めればよいのか。また、現在も進行している産業構造の変化に沿った基本的な考え方とフレームワークを提示する予定です。特に、日本のものづくりでは、現場力が大きな強みになっていますので、その「現場力」を活かすためのIoT/DXの仕組みはどのような形態になるのか、この辺りがキーポイントになると考えています。この現場力を強化するためのIoT/DXの仕組みや考え方は欧米では存在せず、インダストリー4.0にもこのような考え方はありません。日本独特のものだと考えています。

 

どうも、欧米のIoT/DXは上位指向のマネジメント色が強く、日本のものづくり文化には合致しない面が多いと思っています。参考文献は、日本のものづくり研究の第一人者である藤本隆宏先生や、中沢孝夫先生が書かれた書籍がメインです。特に、『ものづくりの反撃』は、先生方のディスカッションをまとめたものになっていますが、しっかりと日本の現場を意識した、地に足がついた議論になっています。裏話として、この本は、居酒屋でのディスカッションだったようで、かえって、このようなざっくばらんな会話の方が現場向きになるようです。                          (以上)


コロナ禍の博士前期課程を終えて

2022-05-01 (2020年度入学) 宇田川博文

 

私は,本年三月で博士前期課程を修了しましたが,この二年間はコロナ禍の真っ只中でした。また,大学にはほとんど行くことができず自宅学習の日々でした。本稿では,この二年間についての雑感を述べさせていただきます。

 

1.大学院について

大学院へ入学してまず驚いたのは,外国人留学生(特に,中国人学生)の多さです。印象としては大学院生の60%以上が外国人で,そのうち60~70%が女性です(正確な統計データではありません)。これは,本商学研究科だけでなく,多くの文科系大学院で同様の傾向があるようです。私の学部生時代では,大学院への進学者自体がさほど多くなかったように記憶していますが,近年の外国人学生の向学心には頭が下がる思いです。外国人大学院生は,母国語は当然ながら英語も分かり,日本語も修士論文を書くことができるレベルにあるということです。近年は,日本でもまじめに勉強する大学生が増えていると聞いていますが,外国人留学生の勉強熱心さを垣間見ると,これからの日本が経済競争で勝つのは難しそうだなと感じざるをえません。

 

さて,この二年間に私が登校したのは三回のみで,滞在時間は通算4時間ほどでした。また,実際にシニアの大学院生にお会いすることができたのは,学位授与式での原様と藤井様だけでした。このような事態になったのは,ひとえに自分の選択によるものですが,積極的に外出しようとしなければ自宅でほとんどのことができてしまうということの証でもあります。大学院の授業自体は,オンラインでも問題は無く,むしろ分かりやすい授業を受けることができたのではないかと感じています。だだし,対面による直接的なコミュニケーションがないため,場の雰囲気や参加者の息遣いが感じられず,授業の印象が薄くなった感はぬぐえません。通学時間という物理的な負担を削減できたかわりに,しずる感といった情緒的なメリットがスポイルされてしまったのかもしれません。また,対面であれば教授や他の学生に問い合わせることですぐに解決できる問題を,一日かけて調べるという無駄も多かったように思います。もう一度やり直せるなら,週に一度は対面で,その他はオンラインのスタイルにしたいと思います。

 

2.修士論文について

私は,現役時代に親会社と子会社との間の関係性について疑問を抱く機会が多くありました。そこで,出資関係を有する系列企業群(親会社と,出資比率が50%以上の子会社や孫会社,および出資比率が20%以上の関係会社からなる企業群)におけるガバナンスのあり方を研究することにしました。コーポレート・ガバナンス(企業統治)は,「企業経営を監視する仕組みで,会社側は企業価値の向上に努め,株主(広くはステークホルダー)への利益の還元の最大化に努めることが基本」とされていますが,私の研究では親会社を株主として,子会社等を会社側として位置付け,その組織間関係(ダイアド)におけるガバナンスをテーマにしました。また,ガバナンスを親会社による「管理」と「支援」という抽象的な概念で捉え,それらの強弱の組み合わせが子会社へ及ぼす影響を分析しています。

 

研究にあたっては,統計学の多変量解析を用いて,管理と支援による業績への影響を分析しました。質的データと量的データの関係性を分析するための数量化理論Ⅰ類の分析と,量的データを集約化するための主成分分析を組み合わせて,次のようなモデル式を設定しています(ご興味のある方は商学論集第56号をご覧ください)。

この分析により,「強い管理」は売上高に正に影響し,純利益に負に影響する可能性があることを示唆することができました。また,「強い支援」は売上高,純利益の両方に正の影響があることを指摘することができました。これらは,意外性のある結果ではありませんが,管理と支援という抽象的な概念を,統計的手法によって系列企業群のガバナンスと結び付けた点に面白味があるのではないかと考えています(手前味噌で恐縮です)。

 

3.統計学について

私が研究に当たって特に苦労したのは,統計学の多変量解析(注1)についてです。近年の社会科学の研究では,統計学を用いた分析を伴う論文が多くなっていますが,これは複雑な分析を容易に行える統計ソフトが広く普及したためと,統計的な調査結果のない論文は客観的ではないと思われる傾向があるためといわれています。私も統計的手法を導入しようとして,その本質的な意味や分析手法の理解に大変苦しみました。むしろ,今でも苦労しているといった方が正解です。ちなみに,最終的な分析結果を得るために1,000回以上の回帰分析を行いました。当初は,Excelにアドインされている分析ツールを利用していましたが,多数の計算を行う間に1回のデータ処理時間が3分以上もかかるようになってしまいました。3分というと大したことがないように思われるかもしれませんが,通常のExcelの表計算では「Enter Key」を押せば,その瞬間に計算が完結しますので,進捗インジケータ(パソコン画面上でぐるぐる回るマークのこと)が3分間も続くと,ストレスが非常に溜まります。その後,専用の統計ソフトを導入して,処理スピードの向上を図りましたが,ソフト購入費用も馬鹿にはなりませんでした。

 

ここで,私に統計学を勉強する上で大変参考になった書籍を紹介させていただくと「複雑さに挑む科学―多変量解析―」(添付画像を参照)があります。この書籍は1976年に出版され,40回以上も重版された名著で,統計学の意義や目的が丁寧に説明されています。統計学や統計ソフトに関する本は数多く出版されていますが,統計学の意義や全体像を理解するには最適だと思います。この本で,著者の柳井先生(1940-2013)は次のように語っています。

 

   『私たちは誰しもが自然科学の生み出した諸法則の確実さに驚嘆し,その一方では社会科学や

    人文科学の諸法則の無力さにやるせない気持ちになる。(中略)しかしながら,人間が複雑

    に絡み合う社会科学や人文科学がとりあつかう現象の方がはるかに複雑である。』

   『多変量解析とは,人間や社会に関する複雑な現象を分析し行くための1つの有力な糸口を切り

    開くもので,(中略)行動科学の分野におけるデータ解析の手法として脚光を浴びるように

    なってきた。』

50年近く前に,現在の統計学の隆盛-「統計学が最強の学問である」(西内,2013)と称されるほどの状態-を見通していた慧眼に恐れ入るばかりです。この「複雑さに挑む科学」は,現在は新書を入手することはできませんが,中古の購入や図書館での閲覧は可能ですので,是非ご覧になって下さい。プロローグとエピローグだけでも読む価値があると思います。

(注1)多変量解析とは,複数のデータの相互関連性を分析し,それらのデータを要約したり,特定のデータを予測したりするための分析手法の総称で,重回帰分析や主成分分析など多くの分析方法を含みます。


 4.アカデミックガウンについて

学位授与式に先立って,(株)明大サポートからアカデミックガウンのレンタル案内が届きました。アカデミックガウンとはなんぞや?と思い調べてみると,アカデミックドレスとも呼ばれる欧米圏の学校で着用されてきた伝統的衣装のことでした。オックスフォードや歴史のある学校の制服として利用されている衣服ですが,近年は卒業式だけに着用する場合が多いようです。興味本位でレンタル(1.2万円/2週間)を申し込んだところ,衣装一式(ガウン・帽・タッセル)が送られてきましたが,着用方法の説明書が付いていなかったため,着方が分からず困惑しました。そこで,インターネットでアカデミックガウンの着用姿の画像を探して見様見真似で着てみましたが,なかなかうまくいきません。特に,ガウンの他にフードのような付属品(パーカーのフードだけを切り離して襷にしたようなもの)がついており,これをどのようにガウンと組み合わせれば良いのか,フードをかぶってから帽をかぶるべきなのかさっぱり分かりません。また,タッセル(帽に着ける飾り)も四角い帽のどの辺にぶら下げるべきなのかでも戸惑いました。

 

結局,家で試着はしてみたものの学校で着る勇気は持てず,近くの公園で記念写真だけ取ることにしました(添付写真を参照)。早朝で人通りは少なかったのですが,犬の散歩のため近くを通り過ぎる人が訝し気に見ており,顔から火が出るような思いをしました。まるで,季節外れのハロウィンです。 

ちなみに,商学研究科の学位授与式では女性一人がアカデミックガウンを着用していましたが,なかなかお似合いでした。また,学部生のアカデミックガウン姿を見かけましたが,フードのトリム(端を縁取る装飾)が白かったのでセーラー服を思い起こしました(明治大学指定のガウンではないのかもしれません)。レンタル品を返却した後日,着衣方法を細かく調べてみたところ,フードは基本的に装飾的な意味合いが強く,そのトリムの色で学位や出身学部を表しているとことです(大学によっても色は異なります)。タッセルは,卒業前には顔の右側に垂らし,卒業後には左に垂らす習慣があるとのことでした。年甲斐もなく,ミーハーな行動をしましたが,良い思い出になりました。


5.今後について

コロナ禍の二年間はすべてオンライン授業だったため,大学院に在籍していた実感がほとんどなく,研究も消化不良の状態でしたので,博士後期課程に進むことにしました。長いモラトリアムにならないよう気をつけながら,研究に取り組んでいきたいと考えています。GF-Masterの皆様におかれましては,今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

                                                                                                     以上

 

 

博士前期課程を終えて

2022-4-15(2020年入学) 原 俊之

 

2020年4月に入学する直前にコロナウィルスが蔓延したことで、入学式が行われないまま5月のゴールデンウィークの後にZOOMでの授業が開始されました。それまではZOOMを個人的に使用したことがなかったために、暫くは色々な不具合を感じながらの授業開始となりました。1年次の春学期が進むにつれてZOOMにも慣れてくることで、移動時間が必要でなく時間を有効に使えることで仕事との両立が可能だったことは、ZOOMの良さでもありました。ZOOMでは、お会いしたことがない先生方や授業の参加学生と授業の中でケースメゾットを体験した際にコミュニケーションをとるのが難しいことを感じましたし、授業の前後に皆様とお話が出来ない事は残念でした。大学構内で授業を受けたのは2年間合計10回程度で、修士学位請求論文の面接試問もZOOMでの卒業となったのは物足りなく感じました。ただし、指導教授の小川先生の勧めでZOOMでの物流学会若拓研究会での発表や対面で小川ゼミの学生の前で研究成果を発表できたのは良い経験となり、研究論集54号と56号に研究成果を発表できたのは嬉しく思っています。

 

授業においては「物的流通論特論」は「外食産業のチェーン展開とサプライチェーンマネジメント」を研究したいと考えていた私にとって、サプライチェーンを体系的に学ぶことが出来ましたし、「商業経営論特論」では外食産業に先行する小売業との相違点を明確にすることが出来ました。「日本流通史特論」で読んだR.S.テドロー(近藤文夫訳)『マス・マーケティング史』では、アメリカの小売業やマーケッティングを歴史的観点から学ぶことの重要性を理解することが出来ました。「経営哲学特論」では私が今まで学んでこなかった企業論理と経営者のリーダーシップや論理的破綻の防止策などを理解し、自分自身反省することや考えることが数多くありました。特に授業に臨む姿勢として、一緒の授業を受けていたシニア学生の方が課題の発表を指定図書からだけでなくて、関連する幾つかの書籍を読み込みながら行われていたことに感銘を受けました。

2020年3月からの新型コロナウィルス感染症の拡大は、私が学生生活と並行して顧問をしている外食産業の企業に対して、政府からの営業時間の短縮要請や感染対策として店内の客同士の距離を離すことが求められました。このことにより客席数を削減せざるを得ない状況となり、外食産業は大幅な売上高の減少による経営悪化の状況が現在も続いています。また、政府からの外出自粛や在宅勤務の要請を受けて、外食産業の需要の減少と同時に消費者行動が変化することで、外食産業の中でも業態や立地によって状況に大きな違いが発生しています。


コロナウィルスの蔓延が収まり緊急事態宣言が解除された2021年10月の外食産業全体の売上高は、コロナウィルス感染症の影響がなかった2019年10月と比較してマイナス6.1%で、売上高利益率が低い外食産業の経営に大きな影響を与えています。その中で、ファーストフード業態は2019年比プラス7.5%と唯一売上高を伸ばしている業態であり、特にハンバーガーなどの洋風のファーストフードはプラスの22.2%と大幅に売上げを伸ばしています。これに対して、ファミリーレストラン業態はマイナス15.9%であり、高価格帯のディナーレストラン業態はマイナス26.0%です。また、最も影響が大きかったのは法人や大人数での宴会需要がなくなった夜の時間帯の売上比率が高いパブ・居酒屋業態でマイナス53.5%です。

 

【2021年10月外食産業業態別売上げ2019年10月比】

新型コロナウィルス感染症が終息しても在宅勤務の継続によりコロナ前の状況に戻らないと考えられるため、外食産業にとって立地や価格帯や商品と同様にラストワンマイルへの取り組みは重要な課題だと考えます。ハンバーガーなどの洋風のファーストフードが唯一売上げを伸ばしている業態であるのは、テイクアウトやデリバリーの比率が高いことにあり、特に首都圏においてオンラインで料理を注文し店舗から消費者まで配送をするフードデリバリーサービス利用が増加していることによると考えらからです。

 

卒業後はこの2年間に学んだことを活かすために外食産業の実務に復帰しながら、聴講生として引き続き「外食産業のチェーン展開とサプライチェーンマネジメント」の研究を続けたいと考えています。諸先輩方と対面でお会いすることなく卒業となりましたが、コロナウィルスの蔓延が終息した後にお目にかかれるのを楽しみにしております。

 

 

絵手紙を学んだ感想

                             2022-04-01(2012年入学)竹内正実

 

GF-Master倶楽部の持ち回りの投稿には、研究を継続されている方々からは、その内容と経過報告、提案などが寄せられている。現在研究生活を中断しておりますので、近況につき報告させていただきます。

 

私は、2021年4月から朝日カルチャーセンターの「絵手紙」講座に通っている。きっかけは散歩しているときに、健気に咲いている花に心を打たれたことである。写真を撮りSNSなどで拡散する方法があるが、私は写真でなく自分でその姿を描き、その感動を拡散したくなった。そんなとき、新宿の朝日カルチャーセンターの「絵手紙」講座を知った。しかしすでに空席はなく、すぐには受講可能にはならなかった。その後4月の講座開始直前に空きが発生し、受講できることになった。喜び勇んで、初回の講座に臨んで驚愕したのは、15人の受講生のうち、私一人が男性であることであった。早速、初回の講座では私だけ自己紹介・参加動機を皆さんの前でお話しすることになった。講師(花城祐子先生)よれば、5年ぶりの男性受講者であり、今までの男性受講者は長続きしていないということであった。

 

お蔭様で、1年間継続しており、講師、参加者の皆さんに暖かい目で接していただけたお蔭様と感謝している。また、皆さんからは、異性が一人でもいると講座の雰囲気が良くなるとの好意的なコメントもいただいており、安心している。受講生は、同講座に数年~10年以上在籍の方々で、既に講師の域まで達している方々も多く存在する。

<絵手紙 画材等>

 受講した感想を、絵手紙の魅力と共にまとめてみた。第一に、絵がそれほど上手ではなくても、かえってそれが味わいや個性になり、添える言葉の雰囲気にも温かみを感じられる点。言い換えれば、ビギナーでも少し努力すれば、見栄えの良い作品に仕上げることができる点である。第二に、題材は身近な花や野菜から人物、風景等制限がない点。第三に、画材(左写真参照)、技法に制約がなく、絵が描けて素敵な文章が思いつけば何とか形になる点。例えば、絵の輪郭は墨でも、ボールペンでもよく、絵具(顔彩)の種類に制約はなく、消しゴムスタンプでもよい。第四に、応用範囲が広く、カレンダー作成、折り帳作成に発展する。後述するが、私は絵手紙の応用版「からくりカレンダー」にはまってしまった。第五に、「絵手紙」を頂いたときに、心の温もりを感じる点である。(メールやライン交換にはない、手作りの暖かさがある) 


現時点での私の課題は、絵手紙の絵の方は少し恰好がついてきたように思うが、添える文章(文字)の方は、インテリジェンスに溢れた、気の利いた文章が思い浮かばない点である。これは感受性を磨かないと、いきなりできるようになるものではない。

次に面食らったことは、受講生から季節の絵手紙、年賀状が大量に送られてくる。(右写真参照)皆さんが作成した素晴らしい作品を受領すると、必ず返事を差し上げることが礼儀である。そこで、返信の絵手紙作成にかかるわけであるが、自分の作品の稚拙さにがっかりしてしまう。しかし月一回の講習で顔を合わせるため、その前に返信しなければならない。このプレッシャーが半端ではないのである。作成のために、1日1枚しか完成しないときもある。「これが、男性受講者が継続できない原因かな」と考えたりする。

 

次に「絵手紙は芸術か?」という問いである。結論から言えば、最近芸術と認められつつあると私は思う。それは、毎年8月に国立新美術館で開催されている公益財団法人国際カレッジ主催の「日美展」の絵画部門に油絵・水彩画・日本画・色鉛筆画・パステル画・デッサン・ちぎり絵と共に絵手紙が分類されていることにある。美術館では、数年前から展示のため絵手紙コーナーが設けられている。講師の先生曰く、絵手紙が美術館に展示されるまで、50年以上の活動の結果である旨、お話を聞かせていただいた。さらに、1970年代から80年代にかけて「絵手紙」の普及に貢献された狛江市の小池邦夫さんが、絵手紙人口が増え、社会に行き渡ってから「絵手紙」という言葉を作られたそうです。葉書に描いて絵葉書ではなく「絵手紙」という言葉が広辞苑に載ったことが、現在の人気を導いた。


小池邦夫さんは、「絵手紙とは絵のある手紙を送ること。絵手紙は、作品ではなく手紙です。上手にかこうと思わずに、普段着の自分を絵手紙で届けましょう。心を込めて一生懸命かいたものは相手の心に必ず届きます。あの人の笑顔を思い浮かべて、語りかけるように、相手のかたが読みやすい字を心がけましょう」と述べています。

 

私は、絵手紙は普及の時代から熟成の時代にはいったと思う。ここで類似する絵葉書と絵手紙を広辞苑で見ておく。

  【絵葉書】裏面に絵や写真のある郵便葉書

  【絵手紙】文字より手描きの絵を中心にした手紙や葉書

私は「文字より手描きの絵を中心にした」の部分がひっかかる。「文字と手描きの絵の融合」でなければ、さらなる発展はないと思われる。

 

絵手紙が個人的な趣味として、生涯学習として長続きするためには「自分が得意とするジャンルを確立すること」である。私の場合は、「からくりカレンダー」にはまり、昨年末に第一号を作成した。(下写真参照)「材料はミニ色紙が2枚とミニカレンダーと帯のための紙」だけである。各月の挿絵と歳時記を加筆すれば出来上がり。からくりたる所以は、重ねたミニ色紙を2方向から開けると、1-6月、7-12月分が登場するのである。私のからくりカレンダーには文章が挿入されていないため、未完成であるので試行錯誤してなんとか完成させたい。からくりカレンダーを絵手紙と同様、相手に送ることにより気持ちがつたわることを期待したい。


最後に、近況につき、少し触れていきたい。大学院で研究してきた「航空貨物の役割」を発展させて「航空会社事業全般」というテーマで、昨年末順天堂大学国際教養学部で、航空会社のマーケテイングと実務を中心として、講義させていただく機会を頂いた。まだまだ航空会社事業に就職を希望するものが多いことに応えた形であった。 

 

私は2021年3月商学研究科での研究に区切りを付けた。現在まで、生涯学習として次に何をやろうかと考えてきた。興味は、「いかに人々と繋がりながら地域生活を向上させるか」であり、4月から区が主催する「地域デザインを区居住者・勤務者・学生で考える区民カレッジ」への参加を考えている。

 

【追記】

「絵手紙」についてはNHKラジオ深夜便テキスト4月号(p.26-32)に「絵手紙の楽しみ」(小池邦夫さんの奥様の恭子さん)の記事が掲載されているので、御覧いただければ幸いです。

 

 

オオクラ研究ノート:研究手法態様の推移

-視点を変えて-

 

                               大蔵 直樹 OKURA Naoki

(2016年入学、2021年修了)

 

 

 

【事務局より】

今回の投稿は本sightの機能では掲載が難しい箇所がある為、下記よりダウンロードして閲覧下さい。

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博士学位取得後の現況

2022-03-01 (2016年度博士前期課程・2018年博士後期課程入学) 野尻 泰民

 

博士の学位を所得してから約1年が経った現況をご報告します。わたしは、じっくり何かを研究することができればよいと考えていましたので、博士号を取得した後の計画とか、このようなことをしようということは何も考えていませんでした。比較的年齢が若い人は、博士学位取得後に教育機関からオファーがあり、助教につく人も昨年の明治大学の例ではありました。しかしながら、そういう例は少なくやはりポスドクが教職を得るというのは難しいようです。わたしについては、博士後期課程を修了して、大学院との繋がりがなくなると「さて何をしていくか」という戸惑いの気持ちになりました。そこで、webで文献調査中に公益財団法人 未来工学研究所が研究員を公募していることを見つけ応募してみたところ、幸いにも面接を経て非常勤として入所しました。現在、未来工学研究所が請け負った調査プロジェクトについてスポット的に参加させてもらい、東南アジアの主要な大学や研究機関について、その特徴などについてまとめているところです。また、その後の研究については、博士論文を拡充した内容を昨年秋に、所属している学会に全国発表しました。もうひとつは、博士論文で得た結果と、時系列データについてインパルス応答で処理した結果とを突き合わせることが今後の課題です。

 

さて、webで文献調査中に興味ある組織を見つけたので、みなさんにご紹介して、今後のGF-Master倶楽部の活動について考えてみたいと思います。

 

その組織は、一般社団法人ディレクトフォース(http://www.directforce.org/)というシニア集団であり、このような組織があることに驚きを感じました。20年前に設立され、会員数は現在600名以上であり、手広く活動しておりわれわれのGF-Master倶楽部の活動にも参考になるかと思った次第です。HPの「メンバーズサロン」のエッセイやメッセージは、GF-Master倶楽部の記事に似通ったものがあり、なかなか面白いので、時間があるときに是非覗いてみてください。実は、神奈川大学の公開講座にディレクトフォースの会員が講師として発表している記事を見て、その存在を知った訳です。GF-Master倶楽部でも修論・博論あるいはその後に研究した論文などを、仲間うちで発表する機会を持ったらどうでしょうか。もちろん希望者ということで強要はなしという条件です。大学もゼミ室を無料で貸してくれると思います。明治大学の公開講座に無料の講座を持つということもありだと思います。これは、ちょっとハードルが高いですが。わたしは、皆さんの論文を拝聴ことがほとんどありませんので、是非拝聴したいと思っているので、こんな考えを持つに至りました。また、リモートで行うのもありかと思いますが、やはり発表は対面がよいと思います。その後の懇親会も楽しみですから。対面が行えるように、コロナ禍が収束することが望まれます。また、同好会を立ち上げるのもよいかと思いますが、GF-Master倶楽部は、まだ人数が少ないので無理かもしれません。


以上、博士学位取得後の現況と一般社団法人ディレクトフォースに刺激を受けて、考えたことを述べました。写真は、自宅から撮った折々の富士山の様子です(左:青富士  右:赤富士)

 

 

家事調停委員になって

2022-02-15 (2018年入学) 寺瀬 哲

 

昨年3月なんとか大学院を卒業した後は暫く学業には就かない気持ちでしたが、とは言え何もせず家でぶらぶら過ごすのは加齢によるボケが更に進むのではと怖い気持ちがありました。そんな時に会社時代の元同僚が家庭裁判所で調停委員をやっていると聞いてチャレンジしてみようと考えたのは令和元年(2019年)10月でした。学生時代も含め法曹界には全く縁がなかったので出来るのかどうか不安でしたが、募集要項や元同僚によると人生経験がある事とある程度の知見??があれば応募可能だと聞いて、応募する事にしました。選考は調停委員になる志望動機と履歴書を提出し書類審査の後に、面接が2回実施されました。私の場合の調停委員は家庭裁判所で実施される家事調停で、更なる法律的な知識を要求される民事調停があります。簡単に言うと離婚・親権・遺産相続などの家庭内で起こる問題を取り扱うのが家事調停であり、民事調停はお金や家屋の賃借問題や交通事故、近隣の騒音などの係争問題等を扱います。従って私の場合は夫婦間や相続に伴う親族間のトラブルを扱うことになっています。 

 

令和2年4月から調停委員に任命されましたが、ご存知の通り当時は新型コロナウイルスによって東京に第1回目の非常事態宣言が発せられ家庭裁判所の全ての調停案件が一旦ペンディングになり、お陰で本来でしたら2日間みっちり実施される予定の完全無給である研修スケジュールが半日に短縮され(個人的にはラッキーだと思っていました(笑))暫く担当する案件もない状態でした。ようやく半年後の9月頃から少しずつ案件を担当する様になり現在は月5~8件ほどの案件を担当しています。案件にもよりますが通常調停期日は約2ヶ月毎に実施されるので解決するのに長ければ1年以上も掛かるケースがあります。問題原因はDV(家庭内暴力)や不貞行為、性格の不一致による離婚など様々です。ただ調停は裁判ではないので調停委員は当事者を説得することや意見することは出来ず、あくまでも当事者間の話し合いを通じて解決を図ることになります。調停は男女1名ずつの2名の調停委員と常時出席はせず必要に応じて出席する裁判官によって進めることになっています。ただ話し合いの結果で主張する両者が歩み寄る事によって結論された調停成立の条件には法的効力があり例えば慰謝料や解決金、婚姻費用(婚姻関係がある限り収入の多い側から低い方に支払う金)の支払いがされない場合等には裁判判決の同様に強制執行や差し押さえなども実施されます。一方話し合いによって解決されない場合には調停不成立となり、申立取り下げや裁判に向かうケースが発生します。 


この様な調停制度はバックグランドが江戸時代からの「内済」制度や明治初期からフランス法の制度を導入した「勧解」と言われた制度を基本にしていて、日本独自に発展を遂げ大正11年(1922年)の借地借家調停法に始まって、今年が制度100周年に当たります。裁判とは違い手続きが簡単で費用も安い調停制度を利用する件数は年々増加しており、特に一昨年からはコロナ離婚ブームと言われ離婚件数が増加傾向でしたが最近の申し立て件数は落ち着いているようです。

 

実際に調停委員をやってみてしみじみ実感した事ですが、夫婦は所詮他人だと感じさせられました。近年熟年離婚などと言う言葉も流行っておりますが、夫婦関係にはくれぐれも忍耐が肝要と痛感しております(笑)。シニア生の方々にはどうか夫婦円満にお過ごしされますようお祈り申し上げます。

 

 

コロナ禍のなかでの愚考

2022-02-01 (2020年度修了) 河合 芳樹

 

博士前期課程修了前の1年はすべてオンライン授業で、その後も同窓会や飲み会までもがパソコンを介するようになり、オンライン中心のコロナ禍での生活に体がすっかり慣れてしまった。緊急事態宣言が解除された昨年10月頃からの友人との再会に心躍り、自ずと口数も増え、久々の会食では思わずマスク越しにビールを飲むこともあった。世の喧噪を忘れた体は会食後の疲れを引きずった。いずれにしても、シニアにとって、2020年に引き続き2021年も失われた年になった。残り少なくなった健康年齢が削られたわけである。そうこうして普通の生活のスタート台に立ち、いざ2022年を楽しもうかと思いきや、コロナは再び容赦なく時間を奪い始めている。

 

コロナ禍は残りの人生を考える機会にもなっているが、都道府県知事が今まで以上に露出機会が増え、地域の対応の違いや国と地方自治体との関係を考える機会でもあった。私の修士論文が平成の市町村大合併がテーマであったことから、地方分権や地方財政について考え続けることにもなった。例えば、昨年春から夏にかけてのワクチン接種の進捗具合を見ていると、人口規模による効率性とその限界、さらに、衛生行政を通しての地方分権について考える種があった。そうしたなか、2021年11月末、2020年国勢調査の人口等基本集計の確報値が公表され、その結果に興味がそそられた。そこで、今回の投稿の場を借りて、2014年5月に公表され、センセーショナルな話題を提供した日本創成会議の『成長を続ける21世紀のために「ストップ少子化・地方元気戦略」』(以下、「増田レポート」と記す。)について、2020年国勢調査結果を用いて、粗雑な手法ではあるが、その後の状況を私の備忘録としてまとめておきたい。

先ず、増田レポートを振り返る。 

増田レポートの調査対象は1799市区町村(注)で、東京一局集中に歯止めをかけ、地方を再生し、女性や若者が働きやすい社会を創成するための多くの施策を提言した。「消滅都市」や「消滅可能性都市」は例示的な用語であったが、公表後、東京都豊島区が「消滅可能性都市」になったことからもセンセーショナルな話題を提供した。しかし、現在と未来の日本の都市人口を象徴的に示す言葉として、人口問題から地方の行財政への認識を拡げた役割は大きい。

 

「消滅可能性都市」とは2010年から2040年までの間に「20~39歳の女性人口」が半分以下に減少する896の自治体、「消滅都市」とはそれに加えて2040年時点で人口が1万人を切る523市町村を言う。これらを下表左側太枠に記載している。この「消滅可能性都市」と「消滅都市」について、2020年国勢調査の結果に基づいて換算した結果が表右側の太枠部分である。2010年から2020年の10年間での「20~39歳の女性人口」の減少率を2010年から2040年の30年間に換算してマイナス50%を超える減少になった自治体が1,492市区町村になった。「消滅可能性都市」が895から1,492に増えた。このなかには、特別区や政令市の区も含まれ、平成の大合併によって生まれた政令市も含まれる。また、523の「消滅都市」のうち、43市町村は「消滅可能性都市」に変わるが、増田レポート作成時では消滅可能性は低い区分になっていた903市区町村のうち653市町村が「消滅可能性都市」に該当し、表には記していないが、そのうち68市町村は2040年の推定人口が1万人未満であり、「消滅都市」に該当する。この結果から、これら市区町村の2040年の推定人口は、増田レポートで前提とした人口を下回る可能性が高いことを想像させる。とすれば問題はさらに深まる。

 

増田レポートで提言された施策は、昨今、「子ども家庭庁」の創設を始め、図らずもコロナ禍により現実化したテレワークの導入等により新たな働き方の模索など、議論を深め、政策に反映されつつある。しかし、人口問題そのものの解決策は特殊出生率に見る限りその難しさを目の当たりにし、地域間の人口格差は今回の2020年国勢調査の結果からも、増田レポートの予測を超える勢いで地方の人口減少が進んでいることを明らかにした。なかでも地方の「20~39歳の女性人口」の格差が著しくなったことは、今後、地方での人口減少がさらに加速することを示唆している。

 表 増田レポートによる消滅可能性都市と消滅都市を2020年国勢調査に当てはめた結果

増田レポート区分

増田レポート
2010→40年における「20~39歳女性人口」の増減率

調査対象市区町村数

2020年国勢調査を適用
2010→20年の「20~39歳女性人口」の増減率を2010→40年の増減率に換算

50%未満減少

50%以上減少

増田レポート

2020国勢調査

50%未満減少

50%以上減少

消滅可能性都市

373

373

372

13

359

消滅都市

523

523

43

480

消滅可能性の低い都市

903

903

250

653

総計

903

896

1,799

1,798

306

1,492

市町村は平成の大合併により、政府の目標1,000市町村までは減少しなかったが、現在は1,724と平成の初めの3,251から大きく減少した。合併による特例債や地方交付税での特典などにより、しばらくは財政的には効を奏した。しかし、その後のリーマン・ショックや東日本大震災の影響もあり、市町村財政の厳しさは変わらない。増して、上述のように、人口減少が加速している状況でのコロナ禍は厳しさに拍車をかける。では、今後も今までのような市町村合併を行えば短期的にでも厳しさを凌げるだろうか。

 

地方財政を考えるなかで最適人口規模の考察は古くから行われている。私が学生だった1970年代中頃は25万人程度を最適規模とする考え方が多かった。最近でも、それ程変わらず、20~30万人程度とする論文が多い。統計分析としては、一人当たりの歳出額を目的変数、人口を説明変数とした2次関数の放物線の底を求めることによって歳出額からの最適規模が得られる。ただし、目的変数を一人当たりの社会保障費とすれば最適規模は異なる。今回のワクチン接種を人口と組み合わせるとその結果も異なるであろう。こうした統計分析の結果だけで結論づけることはできないが、行政の目的によって最適規模は異なることを示唆している。それは、従来の市町村合併方式では限界があることを物語る。

 

2020年国勢調査の分析をさらに進めれば、数年前の課題はそのまま、いや、問題点を増幅、かつ、複雑にしていることを明らかにするのではないか。

(注)増田レポートでは、福島県全市町村を除き、政令市のうち、札幌市、仙台市、千葉市、横浜市、川崎市、名古屋市、京都市、神戸市、広島市、北九州市と福岡市は市内の区を対象とし、それの東京23区と市町村の1,799市区町村を調査対象としている。そのうち、栃木県岩舟町(消滅可能性都市)が栃木市に編入されたため、国勢調査の2020年10月現在は1,798市区町村となる。

【事務局記】消滅危惧市町村 896自治体… 画像出所http://mapgraph.blog.fc2.com/blog-entry-10.htm

 

 

ビジネスと理論

2022-01-15(2012年入学)保浦 卓也

 

昨年(と言っても締め切りが1月1日ですので書いている時点では今年)3月、明治を退学するにあたって、困ったことがありました。3人でシェアしていたグローバル・フロント11階の部屋に百数十冊の本を置いていたのですが、それを自宅に持ち帰るかどうかということです。かなりの本はテキストを含め大学院に入ってから求めたもので、家のキャパシティにとってはほとんど純増ですから、答えは当然「持ち帰らない」ということでした。それではどうするか。普通に考えれば古本屋に引き取りを頼むでしょう。それはそれで、なんとなく寂しい気がしました。

 

私は長年マーケティングに関わってきましたのでマーケティングやマネジメントに関すえるものが多かったのです(修士論文も「マーケティング組織論」です)。もちろん百数十冊すべてを読んでわけではありませんが(ちょっと必要なところだけというのも沢山ありました)、中には随分愛読したもの、なかなか集められないものなどもありました。たとえば、コトラーの著名な教科書「マーケティング・マネジメント」は14版まで出ています(翻訳されたのはおそらく3回)が、そのうちの11の版を集めました(抜けているのは1、5、9版)。第1版は1967年で第14版は2012年です。私が愛読していたのは第4版(1980年)でした。それ以外は大学院に入ってからアマゾンをはじめいろいろな形で集めたものです(ある教授の研究室で見つけ、ほこりにまみれたものをいただいたこともあります)。マーケティング組織についての考え方がどう変遷したかを跡付けたかったからです。版か変わるたびに、コトラーは随分内容を改訂しているのです。これだけ揃っているのは、図書館でもそうないのではないかと思います。それが散逸するのは、私だけの思い込みにすぎませんが、寂しかったのです。

 

3月、いよいよ部屋を出る準備にかかりました。机で本を一冊一冊パラパラとめくりました。マーケティングや経営学の本と言っても千差万別で、「そんな初歩的なこと知っているよ(なーんだ)」から、「そうだよね(同感)」、「あー、そういう見方もあるのか(ワクワク)」、「難しいが、なにか大事なことを言っているようだ(トライ)」、「難しくて、よく分からない(ギブアップ)」「こんな哲学のような議論はビジネスと関係ないよ(反感)」とグラデーションがあります。そこで思い出にふけりました。大学院に入ってしばらくの間、随分混乱した時期があったのです。広告論の授業で「記号論」をやりました。テキスト自体があまりにも観念論で、広告の実務もしていた身にとって上記グラデーションの「反感」に近いものを感じさせたのです。

 

シニア入試のコンセプトは「実践知の伝承」だったと記憶しています。ビジネスの実践知を研究(理論)に反映するということだろうと思います。私の疑問はその逆、つまり理論が実践とどう関係するのかという事だったのです。正直に申し上げると、愛読した本があったというのはわずか数冊のことにすぎません。現役のころは、あまり読んでいませんでした。実務自体が教えてくれたからです。むしろ理論はいらないと思っていました。例外的にコトラーやポーターが「そういう見方もあるのか」というジャンルに入っていたのです。つまり大学院入学直後は、ビジネスと理論はどんな関係にあるのかが私の混乱の中核にありました。シニア入試を受けた時は理論の研究であることが関心の中心にありましたので矛盾していますが、ビジネスは「する」ものであって、「読む」ものではないのではないかという現役の気分が残っていたのです。

 

そんな時に、たまたま「記号論」のからみで「言語学」や「構造主義」の簡単な解説書を読む機会がありました。その中に言葉と実体の議論があったのです。そこでまた、「そういう見方もあるのか」に出会いました。よく考えれば、その通りとおもいますが、それでも新しい言語学なのだそうです。古い言語学では、まず実体があってそれに言葉が対応する、つまり命名されるというのが前提にあるのです。言葉は事物のカタログだと考えられていたのです。しかし、新しい言語学では、言葉の実態はそうではないではないかと言い始めたのです。たとえば、トロはマグロの腹の部分ですが、特別にあの部分に名前をつけるのは、あの部分がうまいということを「考え」たからでしょう。最初からトロという実体があったわけではありません。パンダをアライグマと峻別するのも、より可愛いと「考え」たからということになります。「考え」つまりコンセプトが作られ、それに言葉がつけられたのです。トロをマグロと分け、パンダをアライグマと分けるということで「差異の体系」と呼ばれています。コンセプトは「差異」を形作るものだということになります。

 

ビジネスと理論の関係で言うと、当たり前ですが、まずビジネスがあります。つまり実体です。理論はそれに続きます。理論が先行することはあり得ません。ビジネスという実体をインプットして、理論は「考え」始めるのです。何がうまいか、可愛いかと「差異」(コンセプト)でビジネスを分析し、組み立てなおすのです。ここでは実体は、もうそのままの実体ではありません。マグロという実体ではなくトロというコンセプトになっているのです。そのコンセプトで差異化された実体が、ネギと混ぜ合わされてご飯の上に載せられ、海苔にまかれてネギトロができあがります。新しいコンセプトと実体の出現です。そもそも、料理はシェフの頭の中にあるもの(コンエプト)の実体化です。自分の実務でも同じことをしていたと気づきました。新製品開発は、経験や思い付きに基づいたコンセプトがスタートラインでこれを開発チームが実体化するのです。

 

ビジネスは「する」もので、「読む」ものではないという単純なことではないのです。たとえば、マーケテイング・プランを立てる時、言葉(コンセプト)で考えていないでしょうか?そして、コトラーがはやらせた(発明したわけではありませんが)、有名な4P(Product, Price, Promotion, Place)に沿って進めたのです。マーケティング・プランは他に考えなければならないことがあるかもしれませんが、4Pがメインだと差異(コンセプト)化されて定着してしまいました。ポーターの5つの力も同様です。業界分析は5つの競合要素を考えればいいということで、皆が使うようになったのです。「した」ことを「読み」、「考え」、新たな「考え」を生み出し、これを「読み」刺激され何かを「する」。これが理論とビジネスの関係なのだと、「当たり前だ!」としかられそうなところにやっと至りました。

 

このように納得して、読解力も語学力も低く、集中力がないせいか読むのが遅い私でも、これだけ集めた(読んだと言えないのが残念)のかという感慨にふけったのです。それでも上記のようなグラデーションは克服できませんでした。「なーんだ」は捨て置けばいいだけですし、「同感」はそのままです。「ワクワク」がもちろん中心になりました。そして「トライ」は、すこしはワクワクしたものと、「ギブアップ」したものがあります。その「ギブアップ」と最初からの「ギブアップ」、「反感」は積読になりました。

さて、こんな百数十冊の行き先ですが、思いついたのが、定年した会社への寄贈でした。幸い、明治に近い所にオフィスがあり、移動も簡単で、聞いたらぜひ欲しいということで割合スムーズに問題が解決されました。ありがたいことに、きれいな本箱を作ってくれてくれました。小さなライブラリー風で、孤児の居場所が快適そうです。もっとも、コロナでテレワークのため、開店休業というのが現状です。

 

テキストについて付け足しをすこしだけさせてください。講義でよく翻訳本が使われました。時々分からない箇所があったりするので、英語が原書の場合はそれを取り寄せて参照することがありました。原書でも分かりにくいところだったり、原書で「そうか」と分かったり、また原書にはあるが訳にはないのが分かったり(訳すのが難しそうなところが多かったです)と色々でした。なかには、私でもこれは誤訳だとわかる場合もありました。それも、かなりの頻度でです。一番ひどいのは、これも記号学のジャンルに入るもので「アメリカの素顔」という丸善ライブラリーの新書です。ほとんどのページに誤訳があるという驚くべきものです。翻訳のレベルだけでなく、歴史的な事実もまったく曲解している珍本です。当然絶版になっています。原書のほうは、”The Signs of Our Time-The Secret of Everyday Life”という大変面白い本です。大学院生活の奇妙な思い出です。 


と、ここまでで終わる予定でしたが、このあと言語学についての面白い小説を読みましたのでもう一つ付け足しです。お読みになった方も多いかもしれませんが紹介させていただきます。筒井康隆の「文学部唯野教授」という愉快な小説です。その第7講が「記号論」なのです。そこで「ネコ」という言葉(命名)には何の理由、必然性もないという話が出てきます。早い話があの動物を英語ではキャット、フランス語ではシャ、イタリア語ではガットオといい、「ネコ」はたまたま日本で定着しているに過ぎないというのです。このことを記号(言語)の「恣意的性質(気まぐれ)」」と呼んでいます。上述の言語の「差異の体系」や、事物のカタログでないことにも触れられます。なにより、この小説は大学教員のカリカチュアで抱腹絶倒です。授業を受けている時に読んでいたら別の観点から大学院生活を楽しめたかもしれません。お勧めです。

 

 

2021年雑感

                                                     2022-01-01 (2018年前期課程、2020年後期課程入学) 伊藤 富佐雄

 

 みなさま、あけましておめでとうございます。 

 

 ここ2年ほどコロナ禍でろくに大学に足をはこぶこともなく、みなさまとはすっかりご無沙汰しております。年配者のキョウヨウ(今日、用がある)とキョウイク(今日、行くところがある)の拠り所である学校生活が不活性な環境です。かわいそうなのは昨年修士に入学された学生のみなさんで、勉学の機会が大幅に制限されたまま修士論文を書き、修了しなければならないというのは酷と言うものです。秋学期から少しづつ対面授業も始まっていますがグローバルフロントでウロウロしている学生さんの数も少なく何とはなしに活気がないように感じられます。

写真1

われらがたまり場でありましたパンセは今、11:30-14:00の時短営業中です。

写真2

グローバルフロントは学生証をタッチし、消毒・検温して入館する方式になっています。


   さて、ご承知の通り、この原稿を書いておりますのは年末です。新年号ですが、ネタがありませんので2021年の振り返りを述べさせていただきます。大学の様子をご報告したいところなのですが対面授業が週に一回ある程度で、後はZomであまりご報告する内容もありません。そこで、個人的な話で恐縮ですが、まずは院生の本分である論文の話から始めます。後期課程ということで博論を書く条件として論集、学会誌などへ投稿論文(査読付き)が4本必要です。本当は1年の時から始めていないと間に合わないのですが、コロナでやる気がでなかったと言い訳をしつつ2021年では大学論集55号、56号と立て続けに2本投稿しました。55号(2021年9月発刊)の論文は『Goldilocks Dabateにみる新興国発多国籍企業の研究アプローチに関する一考察』というテーマで、OLIパラダイムを軸として、新興国では環境要因、政策要因、制度要因、ネットワーク資産要因が企業の優位性を代替するいう仮説をレノボのIBM買収ケースによって論証した内容です。56号(2022年2月発刊)の論文は『多国籍企業研究におけるIDP理論の適用課題-中国とインドの事例にもとづいて-』というテーマで、新興国の経済発展と多国籍企業の生成パスを考察しました。いつ経済改革を行ったか、初期の投資家としてディアスポラが存在したか、国際金融を支援してくれる国があったか、後続投資家としての先行工業国が近くに存在したか、資源調達を中心に国有多国籍企業がどのような活躍を見せたか、が大きく影響をしていることの理論化を試みたものです。2本とも採択とはなったものの、途中の査読は酷評で、悩みました。とにもかくにも、院生としての学業は最低限は確保したかなと思っています。

 

 学校では活動に制限が多すぎますので他に活動できる場所をさがしていた秋でした。それが学会です。秋は学会のシーズンです。個人的に国際戦略経営学会、組織学会、日本貿易学会の三つに属しており、それぞれ9月10月11月に全国大会がありました。すべてZoom開催でした。Zoomは定員制限がなく、海外からでも参加できるメリットがある反面、つまらなければ報告者に気兼ねなく退出出来てしまいます。もう少し聞いていると面白くなるのかもしれないと思いつつも辛抱ができず集中力を欠きます。特にカメラをオフにして参加していると内職をしながら発表・報告を聞くことが出来てしまうので"ながら度"が一気に上がります。それでも参加費を支払っていると元を取りたいという貧乏人根性で自分の研究に参考になるところがないか探し回りました。

 

 9月18・19日は国際戦略経営学会の全国大会で、主催校は中央大学でした。

昨年のZoom大会は発表希望者が少なく、主催校が苦労されたようでしたので、今年は久しぶりにエントリーしました。テーマは『多角化巧者の日本企業~企業内起業家に関する事例研究』です。10年以上前にこの学会に参加した当初、大学の先生方は日本企業がお嫌いなんだなぁと思いました。話を聞いていると嫌いなのは日本企業ではなく日本人なのかもしれなかったのですが、10年経っても感想はあまり変わっていません。この学会内に「日本企業再生研究部会」という、日本企業は再生を必要とするくらい負けてダメな存在となったことを前提とした勉強会があります。ちょと待ってください。日本企業って誰のことですか?マクロ平均値の話でしたら政策論や制度論でしょうし、企業戦略論を語るのであればもっと個別にすべきではありませんか?日本企業はどこで誰に何に負けているというのでしょう。実は、私の博士号論文の出発点がここです。一概に、あるいは十把ひとからげで日本企業が負けているなんて言ってほしくない。もう少し実情を理解してほしくて上記のような発表テーマを選びました。大会のレジュメにのせた要約は次の通りです。

 

      起業家および起業家精神に関する研究アプローチ、特に企業内起業家は多角化の範疇で語ら

      れることが多い。しかし、事実の記述が多く、その組織や制度に関する研究は少ない。研究

      対象の捕捉や関わった人材のデータ収集などが難しいためである。そこで、かつてT社の新

      規事業開発部に籍を置いたことがあるI氏提供による成功したプロジェクトと成功しなかっ

      たプロジェクトの情報を分析した。その結果に基づき、企業内起業家のプロセスとパフォー

      マンスを試論として一般化を試みた。また、多角化において日本企業は保有技術からの展開

      する傾向を、欧米企業はマーケ ットから展開する傾向を保有している。それは多くの日本企

      業が行っている長期勤務、長期雇用から生まれる時間的な余裕に基づくものであり、一見無

      駄に見える組織も長期視点の企業業績に貢献している。

 

 この発表に対しあるドイツ経営学の大御所の先生から、世界共通言語であるルメルトの多角化の定義に照らすとこれは多角化の議論ではない、とお叱りを受けました。いかにも学者先生らしいご指摘です。私は、「企業にとってやったことがない事業は新規事業であり、多角化です。巨人の定義に合っている合っていないという議論ではなく、実務的なプロセスがインプリケーションにつながることを期待しています」と反論しました。これで30人くらいいた聴衆者の方々に何か伝わっていれば良いなと思っています。西日本に多くの有名人を輩出した国際経営のメッカみたいな大学があります。Schoolというにふさわしい陣容かもしれません。そこの先生方は日本企業にはダイバーシティ(外人のこと)がなく、従ってイノベーションも生まれないから利益率が下がり、競争に負けると主張されています。自動車産業を見よ、家電産業を見よ、半導体産業を見よ、と仰います。確かに組立のところでは新興国政府の産業政策もあり、プレーヤーの交代が分かりやすく見えています。しかし、日本企業が押えているコア部品や代替困難な周辺材料(フッ化水素など)は依然として少なくありません。省エネ技術も環境技術も目を見張るものがあります。石炭火力発電のCO2排出量を削減したり分離回収する技術は石炭に依存せざるを得ない新興国の電力社会に貢献できるものです(この辺りも博論の一部です)。そもそも経済学の命題の通り、市場が完全競争に向かっているのだとすれば利益率が上がらないのは当然でしょう、と私は思います。研究は単純なほど良いという信念には粒度の粗さが気になります。ちなみに、この大学の教授陣を見るととてもダイバーシティを実現しているようには思えないところはご愛敬でしょうか。

 

 10月30・31日に組織学会の全国大会があり、主催校は神戸大でした。統一テーマは「組織論の現在地」でした。ここは老舗の大きな学会です。学会は入会要件に会員2名の推薦としているところが普通ですが、この学会は経歴と研究したい内容でも入会審査をするというので応募しました。入会したのは2016年です。今回は知識や組織行動、ジェンダーを含めた組織と個人との関係などのセッションに参加しました。印象に残ったのは総括セッションで神戸大学の服部泰宏先生による『「文献レビューのあり方」について文献レビュー』でした。先行研究の捌き方みたいな話です。文献の集め方、記録の仕方、まとめ方といった話は授業でも示唆頂くのですが、服部先生からは先行研究文献の批判の仕方を教わりました。これは論文を書く際の「主張」につながります。「主張」が決まるとそれに合わせてリサーチクエスチョンを作ることができる(ゴミ箱モデルですね)ので有益でした。論集投稿の査読で最も大きなカウンターパンチは「リサーチクエスチョンは何か?」という批判でした。何が言いたいのか分からんと言われ、論文の書き方そのものが分かっていない言われたようで大変ショックでした。服部先生が考える論文批判のポイントは①議論の矛盾や不一致、②集合的な無知、③概念や理論の起源や発展の歴史、④研究の基本仮定、⑤採用されている方法の問題、⑥主たる調査対象の問題、⑦経験的な世界とのズレ、⑧概念の曖昧性や再定義の必要性、⑨理論や概念が当てはまる境界条件の再検討、の9点でした。実務経験者が論文を読んだ際に感じる違和感(⑦のポイント)を単に「わかってないな」では論文の主張にならないので、何をポイントにすれば主張になるか、示唆を頂いたと思います。本学山下洋史先生からは先行研究を否定して新しい見解を打ち立てるよりも、先行研究は特殊解でありそれを包括する上位モデルを提案する方が主張点を作り易いとの示唆も頂きましたがそれは⑧のポイントでしょうか。有益ですが、本音を言えばもう少し早く知りたかったです。

 

 11月20日27・28日12月4日と4日に渡って日本貿易学会の第60回記念大会がありました。ここも老舗の学会ですが参加は本学入学後です。今回、配信の一部は明治大学から行われました。韓国貿易学会とも縁が深く、今回も韓国とつないで行うセッションがありました。Zoomのメリットですが、反面、通信環境に依存するところがあります。このセッションでは通信による小さなトラブルが続出しました。そして日本貿易学会に限らず、多くの学会で抱えている問題が会員数の減少です。この議論は学会の理事会などでよく話題になります。初期メンバーが抜けていく中、補充が十分になされない学会では全体として縮小の方向に向かいます。私はちょっと皮肉っぽく言えば、いつも組織運営を研究している研究者達の組織運営議論を面白いなぁと思いながら聞いています。企業実務者からすれば、製品は顧客=会員と一緒に作り上げるアウトプットと見れば売れる=会員数を増やす製品づくりというテーマが見えてくると思うのですが、不思議なことに、この視点の議論はあまりありません。実務者の会員を増やしたいならばアウトプットは実務寄りにする必要があり、研究者の会員を増やしたいならばアカデミック寄りにする必要があります。どちらの会員を増やしたいのか、その比率はどれくらいが良いのか、は"戦略”だと思うのですが。学会ではありませんが、実務寄りアウトプットの例として本学経営学部の大石芳裕先生が主催されておられるグローバル・マーケティング研究会(通称グマ研)や東洋学園大学が主催している現代経営研究会があります。基本的に実務家に講演をお願いし、質問を受け(特にグマ研はひとり一問に限定しつつも全ての質問に応じるという姿勢を取っているのは特筆すべき)最後に研究者がコメントするスタイルを取っています。無料ということもあり、両研究会とも実務者の参加比率が非常に高いことが特徴となっています。例えば現代経営研究会ではワークマンの専務が登壇しましたが、ワークマン流の徹底したニッチ戦略、ユニクロやしまむらとは闘わない姿勢、ユーザー提案の新製品開発など、面白い話が満載でした。実務者は、自社や自分の仕事を考えるヒントや応用できるポイントをさがしに来ています。分類とか類型とか定義とか説明力とか、そんなものには興味ありません。学会幹部はそのことを理解すべきでしょう。一方、アカデミックサイドの興味は自説に関して分類とか類型とか定義とか説明力などつながる事例をさがしで参加しているのではないかと思います(まさか、経営指導をしてやるなどと思って参加はしていないと思います)。アウトプットの出し方が異なります。学会設立メンバーに聞きますと、設立趣旨というものがあるのだからそこから外れた議論はしたくないと仰います。それも一理です。ならば、その学会は役目が終われば消滅することを受け入れるべきでしょうね。継続させたいなら組織も進化が必要なのでしょう。

 

 2022年はもう少しマシな年でありますように。また、みなさまもお疲れがでませぬように。なお、上記の学会にご興味がございましたらご連絡下さい。無料の研究会などを行っているケースもありますので何かしらご案内できるかもしれません。次回、博論が出来あがっていればそのお話をさせて頂きたいと存じます。

 

 最後となりましたが、本年もよろしくお願いいたします。