<<< 2020年1月以降の投稿は「投稿ARCHIVESⅢ」をご覧ください >>>

中国アリババ訪問記

                        2018-11-24 (2012入学) 山本 和孝

 

明治大学大学院出身者2名と毎年中国の流通事情調査に出かけている。今回はアリババの展開する新型スーパーの見学と本社スタッフとの打ち合わせが目的だ。

 

⒈ 店舗見学 

中国のネット通販の雄アリババが手掛けたリアル店舗は2016年1月に第一号店を開店した「盒馬鮮生」(フーマーションシェン)。我々が訪問した8月には50店舗を超え、年内100店舗の展開を目指している。伝統的スーパーの4倍の売上高を上げるこの食品スーパーには、世界中の小売り業者が見学に押し寄せている。その特徴の第一は海鮮レストラン機能だ。店内にはいくつもの生け簀があり、魚、海老、貝などの海鮮が揃えられている。 


<写真:上左> 顧客はその生け簀から自分の欲しい魚を網で掬ってとる。店内にはその魚を調理してくれるサービスがあり、加工賃も250円と安い。多くの人がこのサービスを利用して店内で飲食している。第二の特徴はスピード宅配機能を持つネットスーパーだ。店舗から半径3キロm以内なら、注文してから30分以内に配送する。しかも買い物金額に関係なく配送料は無料。注文に応じて店頭から商品をピックアップし、専用バッグに収納 <写真:上右>、バッグを売場の端にあるクレーンに載せると、天井に張り巡らされたレールを伝って、バッグヤードの配送スタッフに引き渡されるという仕組み。ピッキング係がその都度バックヤードまで商品を運ばなくて良いという徹底した効率化。これが配送時30分という時間を生み出している。第3の特徴は商品をその場で購入する場合、支払いは現金、クレジットカードなど不可でアリペイのみ。EC化比率は70%に達している。これにより取得した個人データの活用がアリババの最大の研究テーマだという。 

2 .本社訪問 

アリババの本社<写真左>は上海から新幹線で1時間、杭州にある。本社在籍者数は1万人、平均年令は27才と若い企業だ。一日の来訪者は5千人。今回のミーティングテーマは日本の流通業の物流システム。リアル店舗の急速な拡大でアリババの緊急検討課題となったようだ。役職に関係なく、若いスタッフの発言が多かったのが印象に残った会議だった。 

                    以上

 

閑話休題

              2018-11-01 (2012年入学) 竹内 正実

 

茂木健一郎さんが、10月22日の日経朝刊で「人生100年時代の備え」と題して、「生きがい(IKIGAI)が幸せのカギ」と述べている。論調は「趣味など身近なことから始めたら」と月並みな内容であるが、「脳科学的に言うと、脳は他人のために何かをすることと、自分のためにすることをほぼ同じようにうれしいと感じます。自分が幸せになるには、他人のために何ができるか考えてみることも大事なのです」の部分には考えさせられた。

 

そこで、私は現在研究活動以外に何を楽しんでいるのかを考えてみた。今回の寄稿は、昨年の特集NO2に関する「今、私にとって熱いこと」に加筆する形で述べてみたいと思います。前回の寄稿では、「今、私にとって熱いこと。それは、音楽プロダクション活動です!  高校時代の文化祭で1950年代にブラジルで発祥したボサノバ「イパネマの娘」の生演奏を聴いて、稲妻が体中に走りました。インテリジェンスを感じる甘美なメロディーと独特のリズムの虜になり、何時か自分で演奏・歌唱したいと思っていました」。

 

現在も、私の(IKIGAI)は音楽活動です。それは、第一に音楽家として演奏を披露すること、第二に、会社として音楽企画をすることです。前者は、自分のためにすること。後者は他人のためにすることと捉えることができます。前者は2011年にギターを宮地楽器講師であるジャズギタリストの小泉春雄先生に師事、歌唱はポルトガル文化センターのジョゼ・アルバレス博士に師事した結果、光栄にも2012年12月8日にセミプロとしてデビューできたことに始まりました。現在まで、横浜白楽のLA  FIESTA、四谷のダイヤモンドクラブ、四谷メビウスなどに出演してきました。谷本光さん、米澤隆さんのオープニングアクト、ピアノのMONさんとの共演をさせていただきました。1曲仕上がるまで、かなりの練習を要するのですが、仕上がって披露できれば、その喜びはとても大きなものです。

 

後者は、私は2014年4月に株式会社を設立したことにより始まりました。55歳の時に会社事由により失職したこともあり、ビジネスに対する憧憬は捨てきれなかった。そんな時、株式会社を設立しなければならない事由が発生した。事由とは、概ね次のようなものであった。それは私が応援していたクラッシックピアニストを三菱系の会社、伊藤忠の子会社である自動車販売会社の記念コンサートに派遣する仕事を請け負ったためである。当然、私が派遣元となるためには、これらの会社は、私が法人格であることを条件とした。

 

急遽設立した株式会社であるが、定款記載の事業目的として、18項目記載した。ここ数年、会社を通じていろいろなことを学んできた。第一に、社会的な信用、第二に、将来の夢である。前者は、会社が法人格となることにより、私個人に対する社会的な評価が左右する点である。後者は、定款に多くのの事業を謳うことにより、将来の夢がかなう可能性がある点である。そもそもなんで、私がクラッシックピアニストをはじめとする音楽家と近しくなったかを説明する必要があります。「事実は小説よりも奇なり」といいますが、それは、私が属している東京在住の福井県人会において、ある有力商社の社長(現在、会長)との出会いによるものでした。社長と私が昔在籍した会社の元社長・会長とが懇意であったご縁で、福井県出身のピアニスト今川裕代さん(現在、大阪芸術大学准教授)のファンクラブの事務局を拝命したことに始まります。

 

世の中には、実力のある音楽家が多く存在します。しかしながら、音楽を生業として生活できる人はほんの一握りです。玉石混合の演奏家の中から、ダイヤモンドを見つけ出しサポートする楽しみは、至福です。主題に戻りますが、現在「自分のためになにかをすることと他人のために何かをすることを同期化している」ことに専心する毎日です。特に音楽は「人生に彩を添える芳香であると感じています」。音楽は「人と人を結び付ける不思議な道具であり、つらい日常を癒してくれる良薬にもなります」。

 

最後になりますが、2年半前に習い始めたピアノの発表会が12月2日、大森で開催されます。私は今回初めてピアノをご披露させていただきます。この発表会は、前記、私の🎹の先生であるMON先生(宮地楽器講師)の生徒さんの発表会です。この発表会には、10数名が参加します。男性参加者は、私と東大の准教授の男性です。お時間がある方は、ぜひいらしてください。これから何か楽器を習おうかと思われている方には必見です。

 

実務者ならではの研究貢献とは

         ミンツバーグ教授と共に
         ミンツバーグ教授と共に

2018-10-01(2028年入学)  伊藤富佐雄

 

最近、読んだ論文の所謂インプリケーションにこのような文章がありました。

 

「真にグローバルで成功するためには、国籍に関係なく自社の事業展開に貢献できる能力を持った人材を最大限に活用し、風通しのよいコミュニケーションから個々人の能力を発揮できる環境を整えることが重要である。また、自国の文化や価値観に依拠した議論や意思決定を排し、あくまでも企業としてのミッション、ビジョン、そして統一された価値観を前提に多様な国籍の人々が自由に意見を交わす状況を構築することも大切である。また、進出国の市場におけるローカルな事情や現状、多様で複雑な消費者ニーズを現場に出向いてたゆまなく吸収し、グローバルな事業運営に活かしていくことも欠かせない条件である。」(大村邦年、阪南論集社会科学編47(2), 2012-03, p.109-110)

 

これを読んだ実務者は大笑いをするか(私です)、薄笑いで何もわかっていないとつぶやくのではないでしょうか。本年度、シニア入学致しました伊藤富佐雄と申します。ひとかどの仕事をなされ、本学に入学された皆様方にはアルアルかと存じますが、春学期、ゼミの担当教授より「貯金が沢山ありますね」と言われました。そこで、「ハイ。でも貯金の使い方がわからないのです」と応えました。実務経験をどのように研究・論文に反映させれば良いか、入学前からのテーマです。私は入学数年前より、国際戦略経営学会(現会長は本学経営研究科の歌氏教授です)という団体に参加しております。この学会は、実務研究者が多い、英語を話せる人が多い、査読が早い、といった特徴をもち、複数の研究会活動も盛んです。研究会や年次大会で発表を致しますと示唆に富んだコメントを多数いただくこともでき、刺激になります。

 

そのような学会でも、時に経営学者は日本企業を嫌っているのかなぁと思う場面に遭遇します。巷の論文ではさらにその思いは強くなります。曰く、意思決定が遅い、リスクを取らない、ダイバーシティが進んでいない、戦略がない、コミュニケーションが出来ていない…まだまだ“ダメ出し”は続きます。しかし、ご承知の通り、消極的・臆病と計画的・慎重、英断・決断と無謀・暴走など物事には両面があります。遅い意思決定はタイミングを逃すこともありますが、計画の共有化により決定事項を迅速・確実に実行・完遂させる効果があります。

 

また、実務出身の学者に、実務家は報告・論文に多くのことを盛り込みすぎる、と指摘を受けたことがあります。しかし、この人は実務家がアンケートやインタビューでは得られないエスノグラフィックな体験・臨場感を持っていることも知っています。若手研究者からは事例集めに苦労している、とも聞きました。ならば、シニア・実務者が提供した事例を若手研究者が自らの研究テーマ視覚から取り組み、我々が物事の両面をアドバイスし、できれば共同研究ができる場があるといいね、と先日、学会年次大会で議論しました。

 

「初めての春学期を終えて思うこと」

 2018-9-1 (2018年入学) 高畑英夫

今年の4月に入学しました高畑(タカハタ)と申します。よろしくお願いいたします。初めての投稿です。

6月の歓迎会で自己紹介させていただきましたが、その補足と春学期を終えて思うことを述べたいと思います。 

栃木県宇都宮市から通学しております。シニア院生の中では一番の遠距離通学かもしれません。現役時には、宇都宮から浜松町までの新幹線通勤を数年間経験しておりますが、今回は在来線通学です。片道2時間程かかり大変かなと思っていましたが、週3日程の通学なので何とかなりそうです。

 

何故遠い宇都宮から通学?と思われるかもしれません。元々東芝に入社後配属されたのが医用機器事業部で、 川崎市の溝の口駅近くにあった老朽化した玉川工場(昭和34年に富士からこの元紡績工場に移転)でした

 

その後事業が拡大伸長期を迎え生産能力も倍増する為、昭和54年4月に栃木県大田原市(当時人口4万人)の新工業団地に移転第一号として全面移転しました。当時1200名の従業員とその家族は多くの難題を抱えながらの大移動となりました。以来宇都宮に住んでいます。昭和55年秋の昭和天皇行幸(ご視察)も懐かしい思い出です。写真は「ギョーザのまち」宇都宮市のシンボル「餃子像」です。市の特産の大谷石で制作されています。

 

さて初めての大学院生活ですが、あっという間に春学期が終わったという感じです。修士論文に関する研究はスタートしたばかりですが、シニア入試時提出の研究計画書を見直しています。なぜなら先行研究の調査を進めていくと、既存研究に同じ趣旨の研究が存在することがわかったからです。「無知」によるリサーチクエスチョンを避けるには、関連分野の既存研究を勉強するしかないと思っています。

 

『実践知の創造と伝承』(シニア院生「研究報告書」第1号)に、シニア入試発足の理念が書かれていました。「シニア世代の三十有余年に及ぶ(「商学」の分野に関わる)長年の職業経験に根差した洞察力をアカデミックな次元の「実践知」として創造し、確固たる研究成果として次世代に伝承する」。この理念は頭の中で何となく理解しているつもりでも、私にとって具現化するのは簡単なことではありません。

 

知識が足りないことを自覚し、自らの研究分野を深く理解するように努力し学術的新規性の伴う研究を目指したいと考えています。先生からのアドバイスもあり、先ずは関連の学術書や論文をできる限り沢山読むことから始めています。4月から自宅の机には新しく購入した本、先生方からお借りした本、大学図書館から借りた本などいつも10冊以上は傍に置いています。夏休みに入り読むペースがダウンしていますが、積読も又いいかなと思うこの頃です。もうすぐ秋学期が始まります。皆様方のご指導のほどよろしくお願いいたします。 

 

「オーストラリアのpost graduate体験記」

 2018-08-10   (2012年入学) 保浦

  

シニア入学一期生で後期5年生の保浦(やすうら)です。2012年入学ですから、明治に6年半もおります。ずいぶん非生産的な試行錯誤を繰り返してきました。本年は、周囲からは「その年で?」と言われる事をそれに加えたので、ご報告いたします。

 

そもそもの始まりは、昨年度(2017)がはじまったころ気分を変えるために休学をしようと事務室に相談に行った時に渡された休学願書の書式でした。休学の正当な理由を書く欄があり、その例として留学があったのです。そうか、留学があるかと思いさまざまな過程を経て、オーストラリアのブリスベンにあるクィーンズランド大学のPostgraduateのMaster of Businessという専攻で本年2月初めから受講していました。一応入学許可は24単位(3学期)で卒業というコースでしたが、学位自体が目的ではなく、当初の予定は年齢も考えて2学期(休みも入れて1年)でしたが6月まで参加した1学期で終えようということにしました。その理由がこのご報告の要点です。

 

明治の後期での3年は研究の主題(私の実務の専門はマーケティングでしたので、それを中心にした主題です)を廃棄することの連続でした。自分では目新しいと思える主張について関連する論文を捜してみると割合簡単に同じような論旨のものがすぐ見つかるのです。つまりすでに多くの人が同じことを考えていたのです。ですから、気分転嫁のためと言っても、留学の密かな目的は視点を変えた主題の検討にありました。そのため、東京のオーストラリアの大学の代理店にもMBAのような実務を主眼にしたプログラムには興味がないということを前提にして話していました。基本的には明治の大学院がイメージされていたのです。代理店がその点をきちんと理解してくれているものと思い、十分な事前調査をしなかったのが軽率だったのですが、実際のクラスに参加して意図とまったく違うことにすぐ気づきました。

 

わたくしが1学期に選択したのはFundamentals of Advertising、Operating International Business、Management Communication、International Human Resources Managementの4科目です。クラスは60人から100人というかなり大規模な、学部レベルのサイズです。1時限は3時間という長丁場で、私が参加したのは8時、12時、18時スタートでした。そして問題は内容ですが、たとえばFundamentals of Advertisingはオーストラリアかニュージーランドの広告代理店のスタッフになるための知識をインプットするという実務を主眼にしたものでした。  Management Communicationは文書の作り方でした。ここでの目的は職業訓練でミニMBAだったのです。授業が始まってから、employabilityという単語を何回も聞いて「そうなんだ」と得心したのです。ということで、目的がずいぶん違うことになったので、予定の半分で切り上げることにしたのです。 


とは言え興味を引くこともありましたので付け加えさせていただきます。特に大学(私が行ったのは国立です。オーストラリアのほとんどの大学は国公立)の教育“ビジネス”にたいする情熱です。クィーンズランド大学(略称UQ)は学生数50,000を超えるマンモス校で、注目されるのはそのうち留学生が16,000人ということです。とくにpostgraduateは留学生が大半でした(クラスメイトは中国人、インド人、シンンガポール人、マレーシア人、タイ人、トルコ人、フランス人、変わり種はラオス人等々)。一人当たりの1学期平均学費と平均在学学期を仮設し、それに16,000を掛けると大学一校で数億豪ドルの外貨を得ていることになります。教育は巨大な輸出産業なのです。そのためのクラスの運営はいかに多くの学生を合理的に教育するかに集中していました。

 

授業の内容、テスト(中間と期末の指示)、宿題、予習などすべてがuq blackboardというネットで行われ、宿題の提出もご存知の方もおられると思いますが、盗作防止ソフトのTurnitinというネット経由でした。1時限3時間のクラスのうち2時間は講師による日本的には「つめこみ」と呼んでもいいような講義、あとの1時間は(MBAで行われる)グループワークという学生が5、6人で行うプロジェクトのプレゼンテーションだったり、講義と関連するゲームをしたり、クイズをしたりとそれぞれ工夫をしていました。学期の終わりにはハーバードでも行われると聞くHave your sayという学生による講師の評価に参加したのも面白い体験でした。講師の職もそれにかかっているので、クラス運営にも力が入るのです。上記グループワークは、私も当然参加しました。孫のような子供たちと、プロジェクトをゼロから作りプレゼンテーションにたどり着くのはスリリングでした。これは不思議な体験というのが実感ですが、奇妙な孤独感もあり、明治のシニア制度のありがたさを思わされました。

 

また何と言ってもオーストラリア人の親切さを加えなければなりません。5か月間を快適に暮らせたのは至る所(大学事務室、大学ITサービス、銀行、アパート、クリーニング屋等々)で出会ったオーストラリア人の親切さです。あの国民性は何なのかと今でも不思議に思うくらいです。そして最後に、滞在時のブリスベンの天候は本当に快適だったことを申し上げます。オーストラリアもご多分に漏れず異常気象が多発し議論されていましたが、この5か月間のブリスベンはラッキーにもヒート-ウェーブもハリケーンもなく、ずっと青空で日々を楽しくしてくれました。お土産に持って帰れればよかったのにと心から思います。

 

シニアの一員としての、恥ずかしいご報告です。ご寛容を願うばかりです。

 

私の履歴書

2018-07-25 (2018年入学) 寺瀬 哲

今年4月商学研究科にシニア入学しました寺瀬 哲(テラセ サトシ)と申します。まだ一部の方々を除き、ご挨拶しておりませんので、この場をお借りして略歴を紹介させていただきます。

 

小生は1975年にシニア入学1期生(2012年入学)の竹内正実さんと同期で日本航空に入社し、入社後は旅客部門に配属されました。丁度オイルショック直後で入社式の際、「オイルショックがもう少し早く分かっていれば君達はここにいなかった」と当時の役員から言われ大いに憤慨したことを覚えています。当時は組合問題も激化していて、我々地上職が機内客室乗務員の研修(実態はスト破り要員)を経て、英国ロンドンに実習派遣員として赴任し、竹内さんと再会する事になります。

 

この英国赴任で小生と家族の人生は大きく変わりました。2000年2度目の英国赴任後4年を過ぎ帰任が近づいた際、縁あって製造業の会社に転職する事になりました。当時日本航空はまだ元気でしたのでどうして辞めるのかとしつこく聞かれ、不祥事を起こしたから等噂されました。(これはフェイクニュースですが!)転職後は苦労の連続で、当時の日本航空がいかに「ぬるま湯体質」だったかをつくづく思い知らされました。その結果は皆様ご存知の通り日本航空は経営破綻に追い込まれ、多くのプライド高い社員は大変惨めな事になりました。今になって多くの同期から当時の転職判断は先見の明があったと言われ失笑しています。

昨年末に定年退職し竹内さんの紹介もあり今季シニア入学する事になりましたので、よろしくご指導の程お願い申し上げます。現在家内と息子夫婦はロンドン在住で単身生活を大いにエンジョイしており、今後皆様と一献交わす機会でもありましたら幸甚です。今回、 GF-Master倶楽部の事務局から投稿依頼を受けましたが、学生生活について述べる余裕は無く、長らく使用していなかった錆び付いた脳がもう少し時間を経れば慣れるのではと期待しており、次回はもう少し格調高い投稿が出来る様努力致します。写真を添付する様にとのことでしたので、毎日うだる暑さの中で少しでも涼しさを感じて頂きたく、今年3月渡英の際、自宅近所のCOMMONの大雪の様子です。まだまだ暑い日が続きますが、くれぐれも(年でもありますし)お元気でお過ごしください。


 

 

深く掘るには、幅がいる!? - (情コミ)との“異文化コミュニケーション” -

               2018-07-01  杉村 和智

 (2016年商学研究科・2018年情報コミュニケーション研究科

各博士前期課程入学)

 

6月に入り、情報コミュニケーション研究科-以下、(情コミ)-の博士論文中間報告会に2度出席した。中間報告には商学の近接領域を扱ったものもあったが、議論の進め方は相当異なっていると感じた。教官からのコメントもどこか違う、、、。

 

浅学な私にはよく分からないが、社会科学系と人文科学系の学問的方法論(≒論文の作法)のようにも思われた。この様に、本年4月に再入学した(情コミ)博士前期課程とこれまでの商学研究科にはかなりの違いがある。商学研究科と経営学研究科が東京と横浜ほどの差とすれば、(情コミ)と商学研究科は東京と沖縄程度の文化差があると思う-行ったことはないが、スペインとポルトガルくらいの差と言えるのかもしれない-。

 

(情コミ)は、情報とコミュニケーションが研究の共通的視座ではあろう。しかし、情報とコミュニケーションに関係のない社会事象などほとんどないだろうから、研究の対象は社会問題・経済的事象・文化現象・哲学思想・科学技術など極めて広範囲で多様である。商学研究科の研究対象がほぼ企業の行為であるのとは大きく異なっている。しかし、研究科としては不思議とコンパクトに纏まっている感じがする。UniversityというよりCollegeに近い感覚と言えるかもしれない-商学研究科の8系列に対して (情コミ)は3系列-。このためか、2度目の博士前期課程にも拘わらず、文化差やコンパクト感に戸惑い、ペースをつかむまでに思いのほか時間を要した。

 

修論テーマについても、(情コミ)に入る前はビジネス領域とキッパリと縁を切って新しいテーマに取り組もうと思っていた。しかし、いまから(情コミ)固有のテーマ-例えば、社会的な課題や情報に関する領域-を取り扱うには、基礎知識を習得する時間も心身の柔軟性もないことを強く感じた-廣瀬さんの推薦図書「すごいトシヨリBOOK」を読んで益々そう思うようになった-。今の私にできることは、商学研究科時代のテーマをメディア論やサブカルチャーあるいは消費社会学・現代思想、時には情報テクノロジーなどの多面的な観点から再考・チェックすることであり、それが(情コミ)在籍のメリット且つ面白さだと考えるようになった。

 

昔、「深く掘るには、幅がいる」という言葉を聞いたことがある。商学研究科時代のテーマを周辺から幅広く掘り進めば、もしかすると思いのほか深い地点まで思考が届くかもしれない。そうはならなくても(情コミ)の講座と、それに触れて色々と考え続けた体験が、人生を豊かにしてくれるのではないかと密かに期待している。最後に蛇足ながら、(情コミ)で修論が書けるのか否かは 気力体力を含めて全く神のみぞ知る状況であることを附記しておきたい。 

                                             以上

 

大学院生にとっての3G

2018-6  野尻 泰民

(2016年博士課程前期入学、2018年博士課程後期入学)

   

博士後期課程へ進学して1ヶ月半が経過して、どうにか生活スタイルが確立してきました。授業はすべて月・火・土の5、6時限のため登校時間が午後になり、昼食をみなさんといっしょに取る機会がなくなり残念です。

 

さて、日経新聞(2018.5.16)の小欄「あすへの話題」に京都大学の佐藤卓己教授が、「研究者の高度成長期」と題した寄稿文がありました。この中で『大学院生にとっての3G(学振・学位・学会賞)は就活「三種の神器」である。』という一文がありました。この大学院生にとって3Gに沿って、わたしの博士課程での近況をご報告したいと思います。

 

「学振」とは、日本学術振興会の特別研究員申請のことで、これに採用されると毎月いくらかの研究奨励金が支給されます。わたしは今年、申請を考えましたが、学位論文の研究テーマは修論の各小テーマを深堀するという方針は決めましたが、全体の構成がまとまらず今年は断念し来年にチャレンジしたいと思います。ただし、もとより学振に採用されることを目指すのではなく、学位論文の頑健性を高めることが目的です。「学位」については、現在5月27日の学会デビュー(写真)に向けて発表の予行演習を行っているところです。今回の発表は修論の内容ですが、修論の間違いの修正や、発表に慣れていない等々あり苦労しています。「学会賞」とは、学会発表での奨励賞のことで、就活には重要なようです。そもそもわたしの場合、就活は考えていないので重要度は低いのですが、奨励賞を目指すのは努力目標としてはよいと考えています。論文作成の励みとなると考えるからです。

 

最後に佐藤卓己教授の寄稿文の主旨を、少し長くなりますが、下記に引用します。

 

『昨年までの学部生が2年間で修士論文をまとめて学会デビューし、博士課程の3年間で学術論文を量産する。わずか5年間で教わる側から教える側に変身するプロセスを直に観察できるわけだ。そこには「低成長」時代に入った日本社会でなかなか味わえない「高度成長」期の高揚感がある。』

 

わたしにもこのような変化が現れることを期待したいものです。

 

研究は attractive!

2018-4-25 大蔵 直樹(2016年博士前期課程入学、2018年博士後期課程入学)

 

大学病院の病室から見える青空はとても輝いて見えた。職業人として損害保険を業(わざ)として40年近く会社にお世話になっていた頃だ。それから5年が経過した。主治医にも明治大学大学院で研究をしていると伝え「ホウ、頑張って」とのエールをもらっている。そして、同じシニア大学院生の皆さんのことはいつも「すいごい人たちがいるな」と見ている。カントの言う「自分から敢えて決意と勇気を持って」大学院に飛び込んできた人たちだからだ。

 

それにしても研究は、おもしろい。大学院入学以来のこの2年間そう感じている。ただ、おもしろさと実力は別問題。論文執筆の都度、指導教授と副査読の教授計3人から「論理の飛躍がある」「大蔵用語が多すぎる」と手厳しく指摘され続けている2年間なのだ。自分の現在の研究面の実力は、まあせいぜい幼稚園レベルだろうと思っている。逆にいえば、幼稚園から小学校低学年、高学年、中学校レベル、高校、大学学部レベル、大学院、へとドンドン上昇の可能性がある、ということだと思っている。でもどれ位、時間がかかるのだろう、という不安にも駆られる。しかし、先覚の諸氏の例をみても、博士前期課程時代の論文と、博士後期課程時代の論文では目を見張るような違うレベルになっている実態も確認しており、何となく自分に期待している節もある。


 

先日、ふと思った。「何故、研究はおもしろいんだろう」「何がおもしろいんだろう」

その答のヒントは、同じシニア大学院生の一言にあった(注1:参照)。「『荒れた平城京では歌は詠えない』ということは、俳句をやる大蔵さんだから言えることですよね」と言われた(注2:参照)。その時は、そのまま聞き流してしまったのだが、その一言が頭の片隅に残った。

 

いつものように図書館にて古資料を調べていたときに、その一言が目の前の資料に実体をともなって、よみがえった。毎日の研究の積み重ねの結果なのだが、前日まで見えていなかった地平が、新たな景観として目の前に登場するのだ。この2年間、その繰り返しだ。これが研究のおもしろさなのだ、と改めて実感した。とことん突き詰めていると、どうしても繋がらなかった2つの事象が1本の糸に繋がる。その瞬間がたまらない(注3のテーマは、まだ大蔵の中で1本に繋がっていない)。他の人からすれば、なんだそんなもの、ということかも知れない。でも、私、大蔵はもうしばらくこの瞬間探しに付き合ってみようと思っている。

 

ただ困ったことに「見つけた」と思った瞬間に、次の「わからない」が浮き上がってくる。また瞬間探しの始まりだ。万物流転というか、まさに無限連鎖状態なのだ。そんな大蔵としては、大学院での本来の研究以外にも、自分の専攻分野にこだわらず、個人研究として領域も拡大し(注3:参照)、どんどん進めていきたいと考えている。幸い、指導教授からも個人研究を進めることに、ご理解をいただいている。 

 

このテーマはどう?というように何か思いつかれた方、大蔵の研究日課であります平日の午前中なら明治大学中央図書館のB2もしくはB3あるいはB2の中央書庫内にて、検索した資料の内容確認(注4:参照)を行っておりますので、お声かけいただきますようお願い申し上げます。午後なら、GF研究棟の11階におります。以上

注1:なお、上記のシニア大学院生の一言について少し補足します。3月に、そのシニア大学院生と共同研究の打ち合わせを行った。

   松本清張の研究奨励事業への研究企画書の内容を検討するためである。打ち合わせの場には、別のシニア大学院生3人にもご同席いただ

   いた。貴重なご意見を賜り、いただいた内容を踏まえ研究企画書をまとめ、松本清張の研究奨励事業の事務局に提出した。

   1年半前にそのシニア大学院生の修士論文の概要発表を受けた際、「東大寺の鍍金に錆を防ぐという意味がある。鍍金による水銀公害

   が平城京から長岡京そして平安京への遷都という政策決定に影響を与えた可能性がある」という報告をお聞きし、共同研究の申し入れ

   を行っていたのである。適当な発表媒体を探していたが、松本清張の研究奨励事業があることを知り、とりあえず応募をおこなった。

   その結果は、6月末か7月初めに示されるとのこと。多分、だめであろうと思っているが、だめならだめで、また別の発表媒体を探し

   、さらに共同研究を継続したいと考えている。

注2:ちなみに、3月末に、緑あふれる故郷の実家近くで詠ったのが次の句だ。

   Welches Berglilie

   tragen sich ernst von ihnen.

   Das Feld wird violett.

   (大意)カタクリの われ咲きほこり 野むらさき

注3:ガバナンスにおけるビネガーシンドローム問題について、長期的に『共同海損理念の経営倫理への応用研究』というテーマで研究した

   いと考えている。(共同研究したいと思われる方、お声掛けお願いいたします。)

注4:先日、明治大学中央図書館B3の書庫の資料の中からA製作所B工場の工場歌を見つけた。B工場は、洗濯機や掃除機等を取り扱って

   いる工場で、職業人時代、毎週のように通っていた工場なのだが、工場歌があることは全く知らなかった。その工場歌は戦前に作られ

   たもので、電気製品で日本の未来を切り拓くぞ、という想いに満ちあふれていた。B工場で知り合った人たちの顔を思い起こし、皆さ

   んが、家電品が事故に遭った場合に、その損害の補償の問題より、事故による機会損失の重大性を事あるたびに訴えておられた姿に、

   その工場歌が重なった。

【写真について(大蔵さん記より抜粋)】

  ・左:カタクリの花。

  ・中央:毒草 マムシグサ。頭がマムシそっくりである。  なに狙う  すっくと立ちて マムシグサ

  ・右:日本タンポポ。西洋タンポポと違い花の下の弁のそりがない。写真は早朝のため、花が開いていない。お日様が昇るにつれ、開く。

     GF-Master倶楽部の様だ。

 

人生初の入院・手術体験記

          2018年3月25日 2016年入学 鈴木忠史

 

2月中旬に生まれて初めて入院・手術を体験しました。鼻の持病(副鼻腔炎)が悪化したため思いきって手術することにしました。これまで薬物による治療を続けてきましたが病状が悪化し、鼻づまりによる呼吸障害、咳による体力の消耗、睡眠障害、味覚障害、食欲減退、体重減とまさに負のスパイラルに陥っていました。これまで近くの総合病院の耳鼻科に通院していましたが、治療の成果が得られず、このままでは改善が見込めないので、某医科大学付属病院に転院し手術を受けることにしました。

 

手術は鼻に詰まったポリープを内視鏡で切除するものです。全身麻酔が前提になります。手術前日に麻酔医がきて細かい説明がありました。手術中の患者の命を守ってくれる先生です。当日手術室に入りベッドに横たわると、「もう少し頭を上げて下さい。身体を横に移動して下さい」など細かい指示をしてくれたのは中国人らしき若い女性でした。このようなところまで国際化が進んでいることに驚きました。麻酔薬が身体に入ると「アッ、アッ、」と数秒で意識がなくなりました。手術中の痛み等は全くなく、医師やスタッフの皆さまのご苦労は手術後に聞きました。ポリープが大きかったため予想以上に皆さんにご苦労をかけたようです。

 

「お父さん、大丈夫?」という家内の声で目を覚ますと、そこは集中治療室でした。十数台のベッドは全て埋まっていました。それぞれ異なる病気のため専門医がひっきりなしに出入りし、慌ただしく対応していました。また、集中治療室全体を管理する医師がいて専門医やスタッフと連携して対応していました。先生は私にも「鈴木さん、元気そうですね」と笑顔で声をかけてくれました。事実、あの中では私が一番元気(ましな方)でした。私は手術着のままでしたので少し肌が露出していました。若い看護士(婦)さんに「鈴木さん色っぽいね」と言われると悪い気はしませんでした。医師・スタッフは時々ジョークを交えたりして各患者を励ましながら対応する姿勢がうかがえました。そのうち、僕の主治医と麻酔医の先生が、呼吸器系の診察もしようと言いだし、呼吸器内科に連絡をしていました。呼吸器内科へ連れて行かれると思っていましたら、10分もたたないうちに先方からX線撮影の機材が持ち込まれました。「鈴木さん、ちょっと腰を浮かせてください」と言われると、背中に撮影用の版が敷かれ、寝たままの状態ですぐに撮影されました。画像は即座に呼吸器内科の医師のデスクに送信されすぐにコメントが入りました。改めて部屋の中を見回しますと、様々な移動式の検査機器が活躍していました。医療技術の進歩はすごいと感じました。 

 

そのうち、一般病棟へ移ってもよいことになり、これも人生初体験の車椅子に乗って、無事集中治療室を脱出することができました。手術後の経過は概ね順調で5日後に退院できました。現在、自宅で静養中ですが体力も確実に回復してきていることを実感しています。関係者の皆様に感謝しつつ、いっそう健康管理に心する今日この頃です。

 

ゆったりとした時間を過ごそう

2018-03-01 (2016年入学)原間 登

 

早いもので、あと1か月で学生生活も終わりです。大学を出てから、会社員として42年、学生として2年、平日は朝の込み合った電車に乗り、夜に帰宅するという規則正しい生活を送ってきました。しかし、これからは、そのリズムに囚われることなく生きていくことになります。これからのことを考えていたら、ふと就職前後のことを思い出しました。

 

卒業前は、就活がらみのことや卒論でストレスを感じることも多々あり、就職後も仕事がらみでやはりストレスを感じることも多々ありました。そんな時、ふらりと旅に出かけてリフレッシュしました。学生時代の旅は2週間程度でしたが、勤めてからは1週間の休暇しかなく、半分以下のものになってしまいました。そんな旅に出るときに手にしていたのは、国鉄の周遊券でした。エリア内なら乗り降り自由で、北海道や九州の均一周遊券は有効期間が半月以上ありましたので、ゆっくりと旅行が出来ました。かつ、当時は新幹線網が整備されていなかったので旅行に行くときは、夜行に乗って目的地に向かうのが普通でした。そして、泊まるのは殆どがYH(ユースホステル)でした。

 

旅行の日程は大まかに決めていましたが、泊まったYHで、旅慣れたホステラーから情報を仕入れて予定を決めていました。そのようなホステラーは旅行案内書には書かれていない穴場スポットも知っており、記憶に残るスポットも数多くありました。例えば、ホステリングでいった支笏湖近くの「オコタンペ湖」は素晴らしいところでした。けもの道のような未整備なところを1時間近く歩いて湖畔にたどり着いたと記憶していますが、素晴らしいところでした。もう一度行きたい場所ですが、今回調べたら、立ち入り禁止になり展望台から眺望するだけで湖畔には行けないようです。

 

このような観光情報は、今日ではインターネットで簡単に入手できると思いますが、当時は現地に行って知ることができました。そのために、大まかな計画を立てて旅に出て、人とのふれあいのなかで、情報を入手して旅を続けました。そのファジーさが旅の良さであり、気持ちをリフレッシュさせてくれました。インターネットにより情報が瞬時に入手出来るようになってから、知らず知らずのうちに情報過多になり、そのために時間も浪費しているように感じます。現代社会では、少ない情報で曖昧に行動することが難しくなったように思います。しかし、時にはゆったりとした時の流れに身を委ねるのも良いのではないでしょうか。これからの人生において一人でいるときは、時には、ゆったりとした時間を過ごしたいと思います。

  (写真出所:千歳観光協会 http://www.welcome-to-chitose.jp/tourism/2581.html)

 

モノより「いいね!」

2018-1-25 投稿者(2016年入学)杉村 和智

年末か年初の日経新聞だと思いますが「モノより『いいね』」の記事があって、関心をもちました。記事で取り上げられていた28才の男性(独身)の部屋には、机と電気スタンドとパソコンだけ。「欲しいモノ? ありません!」。所有することに意味を感じないとのこと。年末のNHK「クローズアップ現代+」で取り上げていた中古フリマアプリ "メルカリ"(下段写真右側/出所:https://www.mercari.com/jp/)を良く利用する女子大生は、クローゼットを開けて「ここにある服の8割は古着です。2-3回着たら、また直ぐに売ります」「同じ服を着ていたらインスタでバレちゃうから、高い新品なんか買いません!」と話していました。仲間を作って「いいね!」の交流が大切で、モノの長期所有に執着しない人々が増えているようです。


この感覚が、今の私には実によくわかります。現在、横浜郊外の戸建て住宅から都内のマンションへの転居を少しずつ実施中です。家族になぜか医療関係者(医師・薬剤師・看護師)が増えて、彼らから「シニアが、戸建てにすむと骨折が増える。なるべくフラットな所で住め!」「戸建ては冬が寒いので、血圧が上がり脳と心臓に負担がかかる!」と言われて引っ越しをすることにしました。転居を決定してから、家に有るモノの70%強は不要品だと心底より感じます。自宅は、間違いなく未使用品・低稼働品の物置になっていました。モノを買う時にお金を使って、処分に頭を悩まして、破棄するにもお金を使って、全くもって厄介かつスマートではありません。家具などの耐久財と着物などの半耐久財の「所有」は、なんとお金のかかる仕組みなんだ!と痛感しています(“負”動産とされる家の所有も同じかもしれません)。 

 

若い世代は「モノより『いいね!』」。中年層は生活に追われて日々の暮らしに精一杯。シニア世代はあまりモノを必要とせず、むしろあの世に向けて「断捨離」中。商学研究科在籍期間もあと僅かですが、所有のマーケティングから利用のマーケティングに本格的に移行するのか、それとも人間は本質的に独占欲が強くあくまでも所有が中心なのか、新たに興味が湧いてきます。

 

一方、ある日本の哲学者が生活世界のツルツルスベスベ化を予想していました。将来は、家具やテレビや冷蔵庫などが住居に組込まれて凸凹の少ない、ツルツルスベスベした生活世界で暮らすのかもしれません(確かにマンションでは箪笥などの家具は必要ありません)。最終的には、壁は電子的なパネルで出来ていて、スマホのようにすっーと撫でるとネットワークに繋がるような居住空間です。部屋にモノを持たない若い人たちは、ツルツルスベスベの世界観を先取りしている様にも思います。どの様な生活世界になるのか興味が尽きません。

 

2018年の新年を迎えて

投稿者(2012入学) 竹内

新年を迎えるにあたり、最近の雑感と提案を述べてみたいと思います。2017年4月には、シニア学生は2012年入学の一期生5名から数えて累積18名となり、大所帯となった。在学生は、2018年4月の入学予定者3名を加えると9名となる。昨年5月にキックオフした、当ホームページにより、今年も在学生・卒業生間のコミュニケーションが活発に実施されることを期待します。私達はアナログとデジタル混合のハイブリット世代に身を置いています。口こみとSNSをうまく利用して情報交換をたくさんしましょう。そのために、今年は「飲みにケーション」も充実させましょう。

 

さて、最近ラジオやテレビなどのマスコミを通じて、大学院に在籍すること自体ファッションの一種のようなコメントを頻繁に耳にする機会が多い。それは大変耳障りである。それらは多くの芸能人たちにより発せられている。その内容の典型として、「大学院は頭のスポーツジムである」という発言まで飛び出してくる。百歩譲って、大学院に集う学徒の研究の多様化を認めたとしても、大学院はスポーツジムではない。大学院に在学していることがファッションではなく、大学院を芸能人たちの売名行為に利用されてはたまらない。でも逆に考えると、大学院に属することが、世間的にはある種の羨望の的となっており、私達は特殊な環境にいるとみなされていることは否定できない。つまり在学するシニア院生は世間から注目されているのではないかとも思う。 

これらのことは何を意味するのであろうか。世間から注目されていることは、私達が発信する研究成果は社会的に注目される存在になりうるかもしれない。つまり研究成果は社会に与える影響が大きい可能性がある。そこで、研究成果を上げるためには、今一度大学で何ができるかを見てみる必要があるのではないか。ここでは商学研究科以外の講座の履修、聴講について述べてみたいと思う。皆様の中には、商学研究科以外の他の研究科で学ばれている例をよく聞く。例えば、経営学研究科の科目の中には、シニア学生が比較的多数在籍して講座がある。在籍者は、中小企業診断士、行政書士等の資格を所持されている方々が多い。商研のシニアは会社の経営陣として参画されてきた方が多く、経営学研究科に集う専門集団に属するシニアと交歓しながら、自身の研究をさらに深化させる機会があると思われる。

 

 第二は、他研究科における第二外国語の習得である。手前味噌で恐縮であるが、商研でも習得可能な語学はあるが、他の研究科で英語以外の外国語文献研究の講座のドアをたたかれることをお勧めする。私は45年前にスペイン語を大学で学んだが、現在挑戦中のフランス語はまるで初めてであった。65の手習いで、2016年4月から本格的に学び始めた。学習にあたって計画を立てた。初年度はアカデミーコモンでフランス語初級を2ターム受講し、2017年4月からネイティブに3か月間は発音の特訓をお願いし、同時期から経営学研究科の「フランス語文献研究」を受講している。正直、まだまだフランス語の読解力は微力ながら、政治、経済、社会関連の文献が読めるようになってきた。今年、2018年度は、他の研究科の講座への参加を検討してみてはどうでしょうか。

 つぎに、最近のシニア学生の発展の軌跡を紹介してみたい。修士を卒業した方々の中には継続して聴講生として大学に関わっている方、修士の終了年限を延長してさらに立派な論文に挑戦されている方、修士終了後、他の研究科の修士に再入学される予定の方、実業と研究の両方で活躍されている方、博士後期に進学予定の方など、各々進む道は違えども、各々未踏の領域に果敢に挑戦しているようです。皆様のバイタリティ溢れる姿勢には脱帽します。

 

「人の世は山坂多い旅の道」ですね。還暦60歳(とんでもないと追い返せ)、古希70歳(まだまだ早いとつっぱなせ)、喜寿77歳(せくな老楽これからよ)という人もいます。私達はまだまだ聖路加の日野原さんに言わせると若者です。健康な人生を送るためには、毎日の生活のリズムが最も大切です。今年も、体を鍛え、お酒と美食を楽しみ、何事もポジティブに思考し、知的好奇心をいつまでも失わないようにしましょう。最後に、一つ提案があります。GF-MASTERSに寄稿していただくシニア学生の範囲を拡張してみてはどうかと思いますが。例えば、情報コミュニケーション学科、経営学科に在籍するシニアあたりにお願いしてみてはいかがでしょうか。

 

大学院に入学して9ヶ月経ち、                                                                  振り返って感じたこと。

            2017・11・23 2017年入学 山口岳男

 

2016年3月、昨年の3月に長らく勤めた会社を退職し、その後、縁あってコンサルティング会社と人事関係のITシステム会社の二つの会社のアドバイザーを務めることになり、社内でコンサルタントと議論したり、また様々なクライアントを訪問してグローバルなビジネスを展開する中で人材マネジメントはどうあるべきか、人材マネジメントをどう進めるか等々、議論を重ねて来ました。前の会社では入社以来ずっと人事関係の仕事をして来ましたので経験から得た人事の知見を提供し、アドバイザーをしている会社のビジネスに結びつけるということが私自身のミッションです。ただ、こうした仕事をする中で、経験はすぐに陳腐化すること、ほっておけば腐るのだということを実感し、経験に「スパイス」を注入して化学反応を起こして新たなものしていくことでビジネスに活かす、クライアントの役に立たせようと考え、このスパイスこそが学問ではないかと考えた末に、では大学院に入ろうと決心した次第です。

 

今年の春に大学院に入学し、はや9ヶ月が過ぎようとしています。大学院で学び始めて感じたことの第一は誤解を恐れず言えば、学問の世界とビジネスの世界には埋めようもないほど大きなギャップがあるということです。どちらが正しいかという問題ではありません。ビジネスの世界に身を置いていた時、グローバルな課題に向き合い、会社としての採るべき政策や解決策を求めてそれこそ大学の先生やコンサルタントと議論し、違う視点、新たなフレームワークに触れ、多くを学んだと考えていますが、大学に来てみればそれはほんの一部に過ぎず、多くは実ビジネスとは距離を置いて、謂わゆる「象牙の塔」に閉じている印象を受けます。もっともっと大学とビジネスは相互に交流を求め合うべきだとかいうのが実感です。そこで私自身が経験値を知見とし大学の学問にフィードバックし、大学の学問で磨いた知見をビジネスの世界にフィードバックするという、いわば自分を中心に大学とビジネスの「架け橋」になれないかなと不遜にも考えています。

 

入学前に思い描いていたどうりにはいかないことでの不満もありますが、結局は自分で学ぶのであり教えてもらうのではないということを肝に銘じて前進したいと考える今日この頃です。

 

中国訪問記

                                                                                     2017年10月23日 2012入学 山本和孝

 

「流通業の国際進出」をテーマに毎年中国の商業施設を訪問している。今回は九月に11日間ほど、深圳、成都、武漢を訪ねた。小売り各社からのヒアリングの際、知人の教授の紹介で日本語を学ぶ学生が通訳をつとめてくれた。学生の案内で大学構内を見学した。校門をくぐってすぐ目に入ってきたのは、ものすごい数のマンション風の建物、中国の大学は全寮制なので学生専用の居住棟のようだ。一室4名の共同生活らしい。敷地内には、携帯ショップ、コンビニ、レストラン、メガネ店、何故か銭湯もある。しばらく歩くと 幼稚園の子供たちの出迎え風景に出会った。大学で働く教職員の子弟のために設けられているとのこと。一つの街のようだ。

 

案内してくれた女子学生は三年生だが一年生の時、授業に軍事訓練が組み込まれていたという。中国ではすべての大学で義務付けられている。迷彩服を身に着け、行進訓練、野外生存訓練、射撃訓練もあったらしい。目の前でチョコレートパフェを食べるアイドル歌手のようにかわいい学生と迷彩服がなんともミスマッチな感じがした。

 

深圳でレストランに入る。テーブルの上にメニューが無い、その代りテーブルに貼ってあったのがORコード。スマホをかざすとメニューが表示された。スマホ内の料理を選んでオーダーする。食べ終わって、アリババの決済サービス「支付宝(アリペイ)」を使って スマホで支払が終了した。自由に拾って、勝手に乗り捨てる。「シェア自転車」が中国各地で拡大中だ。利用者は車体に付いているバーコードをスマホでスキャンすればオンラインでカギが空く。目的地に着いたら、自転車に鍵をかければ自動的に利用が終了し、スマホに料金や利用距離が表示される。このほかにスマホでタクシーを呼ぶ「タクシー配車アプリ」」も年々利用者が増えている。スマホを活用したビジネスでは日本はかなり中国に遅れを取っていると感じる旅になった。

                    

シニア暴飲暴食台北の旅日記(3泊4日)

2017/09/22 2015年入学 鈴木 佳光


1日目 9月6日(水)

 小雨模様にて自宅を早めに出発。天王洲アイル駅からモノレールで8時前には国際線ターミナルに着く。いつものように京急線の出口のJCBカウンターで海外情報誌を入手。Hさんが京急で来られるようなので、その道筋で待つことにする。程なく来られる。8時20分頃エバー・エアーの搭乗手続き開始のアナウンスがあり、チェックイン・カウンターに向かうと、間もなく、Mさんから声をかけられる。早めのチェックインであるが、ちょっと一休みしてから買い物をする。台北の元同僚へのお土産と、我々の寝酒とつまみを買う。これはシニア旅行の慣例である。今回はシーバスリーガル1Lと乾き物。羽田を離陸してから、機内は寒く、MさんのGPS電波時計Gショックは上手く機能してないようである。昨日のJALの飛行機のように火を噴くこともなく、予定よりも早く台北松山空港に到着。台北は非常に熱い。聞いたら、36℃。

ホテルに向かう送迎車の中で9万円を台湾元に交換。車内で鼎泰豊 の予約券と、魚翅(フカヒレ)店の予約券を購入。ホテル・チェックイン後、さっそく台湾麦酒で乾杯。その後、7−11でMRTカード を購入、地下鉄で台北101 に向かう。5F発の直行エレベーターで、あっという間に地上382Mの展望台に着く。靄っていて、遠くまでは見えないが、台北の変貌ぶりがわかる。18:30に圓山大飯店 の「金龍庁餐庁」を予約しているため、余裕をもってタクシーに乗る。市内のラッシュ・アワーと重なったが、18:30過ぎに到着。麦酒、紹興酒、点心等を飲食、満足してホテルに戻り、再びシニア連は部屋で台湾麦酒やシーバスリーガル約3分の2を飲む。23時ごろ散会。 

2日目 9月7日(木) 

 故宮博物院 に行くのに公共バスを利用する。ホテルの服務員とバス停の待ち人に聞いて、何とか故宮博物院近くのバス停で下車する。台湾人はとても親切である。故宮では「翡翠の白菜とキリギリス」 が素晴らしい。しかし、院内は寒いし、ちょっと歩き疲れた。次は忠烈祠 へ、12時の衛兵交代式を見るため。見物途中で私の靴の底が外れるハプニングがあり、見物後、士林市場に向かうが、ここは夜市にて昼は各店クローズしており、靴屋がなかなか見つからない。結局、雑貨屋で接着剤とサンダルの購入となる。そして、地下鉄中山駅の近くの新光三越百貨店の台湾料理店「欣葉」に行き、遅めの昼食。麦酒、台湾料理、紹興酒を味わう。その後、林森北路の繁華街を巡り、雙連駅の近くのかき氷店「冰讃」 に行く。お客はほとんど日本人だが、ここのアップルマンゴのかき氷は天下一品。一旦、ホテルに戻り、小休止。夕食はホテルの服務員のお薦めの牛肉麺と麦酒と小皿料理。その後、地下鉄で龍山寺 に行く。約1時間の夜の街歩き。21時前にホテルに戻って、残りのシーバスを飲み干し、帰りに買った小瓶のジョニ黒も空っぽ。Hさん、Mさんは朝の散歩含めて、1日で約26キロ歩いたそうです。

 3日目 9月8日(金)

 今日は台湾の古きよき時代の鉄道の旅をイメージして、列車に乗ろうということになった。地下街台北駅で若干うろうろしたが、北上するか南下するか、結局、北上し基隆 に行こうということになった。MRTカードを使い、基隆行きの準急10:05発に乗る。4−5駅は地下を走るので、車窓の楽しみはない。約50分で到着したが、北口は港の方角にて、南口に回る。繁華街が続くが、この古い街並みと屋台の独特な匂いと熱風、せかせかした人の動きはまさに台湾風景そのものだが、ちょっと、ここで昼食を取ろうという気持ちにはなれず、11:40発の高速バスで台北に戻る。デラックス観光バスのようで快適。台北駅に40分ほどで着き、大きな台北駅を見物してから、東門駅永康街の台南担仔麺で有名な「度小月」へ向かう。麦酒、紹興酒、小皿料理に担仔麺を控えめに注文。理由は夕食が魚翅・鮑魚(アワビ)コースを予約しているからである。食後、中正記念堂 に向かったが、地下鉄を降りたら、外は土砂降りで、しかも雷がなっており、暫し雨宿りをしたものの、いっこうに止む気配もなく、Hさんのアドバイスで、タクシーでホテルに戻る。2時間ほど小休止。18時過ぎに魚翅店 「鼎極魚翅」に行こうとタクシーを探すも、雨上がりのラッシュ・アワーでしかも花金ではなかなか捕まらず、ちょっと遅れて、レストランに着く。客は日本人が多く、服務員は日本語の上手なやり手のおばちゃん。麦酒、紹興酒を頼み、烏魚子(カラスミ)などの珍味、魚翅、鮑魚、炒飯等を味わい大満足。帰りは、散歩がてら、林森北路の鰕料理店を目指す。駐在時代一緒に仕事をした女性が旦那さんと創業して成功している店に立ち寄る。生麦酒をごちそうになり、少し会話して失礼する。今日の締めはアイスクリーム、チョコレートと紹興酒一本。  

4日目 9月9日(土) 

 9:30頃チェックアウトして、ホテルに荷物を預け、再び中正記念堂に向かう。昨日の大雨のせいで、非常に蒸し暑い。中正記念堂に着くと、ちょうど10時の衛兵交代式が始まるところで見物する、良いタイミング。暑さと人混みのせいで汗びっしょりとなったが、次は隣の東門駅に向かう。10時45分頃に「鼎泰豊」に着いて、受付表に名前を記入したら、すぐに、服務員に呼ばれ、2階の席に着く、ラッキー。小籠包、餃子類、野菜、炒飯等と麦酒で約30分飲食する。次から次へお客の出入りがあり、流石に繁盛店である。会計の時に電光ボードを見たらもう既に35分待ちの表示となっていた。一旦、ホテルに戻り、フロントで小休止。Mさんが、この旅行中に私の大好きな鶏足(モミジ=鼓汁鳳爪)をまだ食していないことを、気にされていたのですが、このホテルの最上階に飲茶餐庁があることを思い出し、先ほど昼食を済ませたばかりなのに、今日3回目の食事に行く。麦酒、炒麺と私は特別に鼓汁鳳爪を2蒸籠食べ、満足。その後、地下鉄で台北松山空港に向かう。今回の旅行の締めは2Fにある「春水堂」という店のタピオカ冷紅茶を楽しみ、チェックイン。機材到着遅れのために出発は30分程遅れたが、20時20分頃羽田空港に安着。お疲れ様でした。良く飲み、良く食べ、良く動いた旅でした。謝謝。 

 

「リンゴの木オーナー制度」加入で                                                                       農業参加気分!

2017/08/25  2015年入学 宗像善昌

8月7日6:00am,日課の愛犬散歩(7~8月で3度も飼い主に噛みつき、其の度に墨東病院のERに駆け込む)で、近くの木場公園に入った途端、真夏のミンミンゼミの大合唱に目を覚ましたが、日中の暑さを考えたら気持ちが萎えてきた。13日からは4年に一度の地元の富岡八幡宮例大祭があり気持ちは祭りに飛んでいて、パソコンに向かっている気持ちになっていられない。GFの約束があるのでエッセイは早めに済まして置きたい。

2年前から、趣味と実益と健康維持を考え、農業に関心をもち始めた。農業の本質とは離れているが、形だけ「リンゴの木」オーナー制度の会員となって、時期になれば家族でリンゴ狩りを楽しんでいる。昨年は「my tree」から約600個も摘み取り意気揚々と凱旋しました。農家の人たちはとても人の良い人達で農政に対して文句も、泣き言も言わない。何回かお会いして農業の話を聞いてみると農家の人しかわからない悩み事も聞かされました。それも理由で農業は狭く浅くしかわかりませんが、一度、農業を考える機会を持ちたいと考えた。もともと農業に関心をもったのは、修士論文の結論で、中小食品問屋の生き残り策の中で、地域内の他産業や農業との協業化を進めるべきと述べたが、流通業者にその協業化を行う為の実践的方法を伝えるとしたら、自分で経験することが一番手っ取り早いと思ったのですが、外に出て農作業に打ち込むほどの熱意もなく「リンゴの木」オーナーになって目先をくらましたというのがここまでの経過です。契約の内容は次の通りです。福島県飯坂温泉の例です(宣伝ではなく基本契約内容を記しました。)

① 制度

   1年間契約で、基本的には人工授粉、摘果、収穫を体験する制度です。(私は収穫にしか行かない不良

   契約者であります。)それでも農家の人たちが手入をしてくれ、収穫時に約600個も収穫してくるのは

   魅力です。

② 契約内容(例)

   普通栽培リンゴ   一本     60000円  

   最低保証収穫量   一本当たり  100Kg  (約300個)

   通常予定収穫量   一本当たり  120Kg   (約400個)    

   品 種       ふじ

   収穫時       11月中 

   その他の果樹    リンゴの他に、もも、ぶどう、なし。



以上がオーナー制度の概要ですが、農家の話も報告しておきたいと思います。40%を割り込んでいる自給率を上げるためにも今の農業問題を知る必要があると思い、問題点を調べてみました。農業も零細小売業、中小食品問屋と同様に、自分の子供に継いでもらいたいと言えるほど魅力ある職業になっていない事。昨年の暮れから小泉進次朗議員などを中心に「農業競争力強化プログラム」がまとめられ、実現方向に向かっている。内容は農産物や肥料などの生産資材の流通改善と日本農業の競争力強化を目指すものとある。農家の人達の思いも同じで、難しい事ではないのです。

戦後農業は農協という組織と一体でありJA全中(全国農業協同組合中央会)が地域農協を監督指導するとともに、農家一戸、一戸も必ずしも自由に動けるとも限らず、これでは現場の自由な発想が生かされないし、産業としての活力は生まれない。そのため安倍政権も農業活性化のために農協、全中の改革に手を付け始めたと考えられます。多くの農家は必要な農業機械、肥料、資材は全農から購入してきたが、これは全農がまとめて購入することで価格が安く抑えられるという通説が信じられていた。文芸春秋(2017,5)にその実態は怪しいもので、スケールメリットを生かした価格交渉は不十分で真の意味での共同購入はやっていなかったことを記事で取り上げている。共同購入が機能していなかったからこそ、農村地域のホームセンター、コメリ、カインズなど農村地域の優良店が業績を伸ばしていることも理解できる。

農家の人達は、消費者と接点の多い小売業、ホームセンターなどのデータ販売に関心をもつが、農協では期待に応えていない。宅急便などの宅配網の進歩や、「果樹のオーナー制度」も含め、農業者は農協を通さなくても消費者に生産物を直接届けることが可能な事を感じ取ってはいるが、今まで農協頼りで自前の販売網を構築していない事が、農業自立の道を塞いでいることも理解している。この辺が改善点で、小売業の代表がコンビニに代わっているが、これもITの活用によるものである。これからの農業も卸売業、小売業の販路の活用、新製品開発、IT活用で利益をだし「結果」を残し産業化を進めることが必要になってきた。根本的に改善する余地はあるが輸出を含めて「攻める農業」が必要になってくると思います。卸売市場、農協の他にも門戸を開き、消費者は農業活性化のために、「果樹のオーナー制度」参加も含め、是非農業に参加してみませんか。

 

鈴なりになっている果実を見るだけで幸福感にひたれます。収穫は1/365日ですが、農家の人達は365日リンゴと向き合っているわけです。育てて頂きまして有り難うございます。感謝!!! 

<追伸/7月には長野にあんず狩りに行って来ました。>        

                                                                      以上

 

「年来稽古条々」

 2017-7-25 / 2016入学:新貝 

6月に入り、そろそろ修士論文の準備に取り掛かろうと昼前に国会図書館を訪れた。参考になると思われる博士論文を借り出し、読み始めた。ところが、どうも集中できない。前に進まない。お茶を飲み、トイレに行き、気分転換して再び本に戻ったが、30分もしないうちに集中が切れてしまう。こんなことを繰り返して、なんとかその日の夕方までに読み終えた。が、しかし、図書館を出ての帰り道、論文の要点を思い出そうとしたが、どうにも思い浮かばない。肝心なところがすっかり抜け落ちていた。

 

7月初め、数年ぶりに泳ぐことにした。それまでスポーツジムでは、ランニング中心のメニューだったが、うっかり足首を捻ったため、暫く水泳に替えることにした。昔と同じ1500メートルを泳ぐつもりだった、どうも調子が上がらない。1000メートルを超えたところで、息があがり、手足が動かなくなった。「こんな筈はない。」と翌日、再びプールに入ったが、やはり1000メートルでギブアップした。「もう昔の自分ではない。まだまだ若いと強がってきたが、やはり老いは隠せない。前期高齢者らしく大人しくしているべきだ。」そう自分に言い聞かせたものの、そうなると、どの様に毎日を送ればいいのか自信がなくなった。

 

そうした中、「能」を見に行く機会を得た。授業のない木曜日、リバティアカデミーで5回シリーズの「能・狂言の世界に触れる」の講座を受講しており、その最終回が千駄ヶ谷の国立能楽堂での能鑑賞だった。今まで能には縁がなかった。能のファンである妻に度々誘われたが、能は演者の動きが非常に緩慢で退屈そうであり、どうしても興味が持てなかった。しかし、実際に鑑賞してみてそれまでの先入観は一掃された。当日の公演は休憩時間を挟んで5時間に及んだが、眠気も催さず最初から最後まで舞台に集中できた。いや、それ以上に「面白い」と感じたのだ。この日のメインの演目は「朝長(ともなが」」で、これは能の演目の中でもほとんど動きのないことで有名だそうだ。確かに舞台の上の演者はほとんど動かない。

 

その日の朝、妻から、「能は動きを観るのではなく、演者の集中力を観るものよ。」と、何やら意味不明のアドバイスがあったが、確かにその通りだった。演者は舞台を移動するとき、腰の上下動を全く見せず、滑るように歩を運ぶ。腹式呼吸をしながら下腹部に体の重心を集中させ、腰を浅く降ろしてその姿勢を保つ。ほとんど動きのない状態で、下腹部への集中と腹式呼吸を持続させている。演者が身に着ける装束は20キロ近いという。この重さを身にまとい、長時間同じ姿勢を保ち続ける集中力は並大抵のことではない。一方、観客にとっては演者の能面の下の表情は読み取れないので、その立ち居振る舞いに集中することが求められる。能とは演者と観客の集中度の戦いとも言えるかもしれない。

 

家に戻って、「確かに能は集中力の演劇だ。能役者は若くないと務まらないことが良く分かった。」と妻に報告すると、「世阿弥は600年前の当時でも60歳台まで現役だったのよ。」とのこと。そこで、書斎の奥に埋もれていた世阿弥の「風姿花伝」を引っ張り出した。「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからずとなり。」で有名な世阿弥が残した能の理論書だ。15世紀初め頃に書かれたもので日本最古の演劇論である。黄色に変色した「風姿花伝」のページをめくると、あった、あった。序に続く第一の「年来稽古条々」では、生涯にわたる稽古の心得を伝えている。七才、十二三、十七八、二十四五、三十四五、四十四五、と続いて、五十有余が最後になっている。

 

五十有余では、「この頃よりは、大かた、せぬならでは手立てあるまじ。」(五十過ぎの年頃からは、まったく何もしない以外には、方法があるまい)と我々シニアには絶望的な調子で始まる。やはり老兵は去るのみなのか・・・。いや、待てよ。当時の五十有余は今でいえば80才位か。それならば自分は当時の四十四五位に当たる筈だ。そこで四十四五の個所を確認してみる。「この頃よりは、さのみに細かる物まねをばすまじきなり。大かた似合ひたる風体を、やすやすと、骨を折らで、脇の為手に花を持たせて、あひしらひのやうに、少なすくなとすべし。(中略)かやうにわが身を知る心、得たる人の心なるべし。」(この年頃からは、あまり手の込んだ能はしてはならない。大体のところは、自分の年齢相応の能を、楽々と、無理なく、二番手の役者に多くの演目を譲って、自分は添え物のような立場で、控えめ控えめに出演するがよい。(中略)このように己自身を知るということが、奥義に達したひとの心得というものであろう。)

  

なるほど。まったくその通りだ。自分を知ることこそ大事なのだ。昔のように論文を読むことに集中できないのも、1500メートルを泳ぎきれないのも当然だ。勉強も運動も、無理なく、自分の年齢相応レベルができれば上出来なのだ。むしろ若い世代が育つように、彼らをサポートすることこそが自分の役目なのだ。そう思うと身も心も軽くなった。そうそう、もう一つ、忘れていた。夜の席でのアルコール。昔のつもりで、ついつい飲みすぎてしまうが今の自分を知ることが大事だ。内臓も昔のままではない。世阿弥も言っている。「もとの名望ばかりを頼まん事、古き為手の、返すがへす誤りなり」と。

 

まどい          2017-6-25 2012年入学 保浦

諸悪の根源のようになってしまった団塊の世代の一人として、40年近くビジネスにたずさわってきました。その間、高度成長の最後の部分、2回のオイルショック、バブル、その崩壊、そして失われた20年を通過しました。仕事は「マーケティング」を主としてやってきました。消費財ですから小さなプロジェクトばかりですが、日本の長い平和を栄養にした仕事でした。仕事を終え7年になります。そして、どうしたことか大学院に数年お世話になっています。

 

実務に携わっていたころ、アカデミズムへのあこがれがありました。なぜだったのかわかりませんが、もしかすると、実務にはある意味の「汚れ(けがれ)」があることを否定できないけれども、学問にはそれがないと感じていたのかもしれません。実際に仕事はきれい事だけでないのは事実でしょう。これを否定できるビジネスマンがおられたら、その幸運をうらやましいと思うだけです。なにしろ、ボスの承認をとることだけが最大の課題であったり、こちらのほうがいいのにと思いながら大勢に妥協したり、時間切れで不満足な製品や広告を市場に導入したりという現実の「汚れ」にどっぷりの人間でした。ですから、現実の混沌を一刀両断にスパッと整理し理論を構築する(と思われる)学問に心惹かれる魅力があるのは当然のことなのです。そんな思いで40年を過ごした者が今は大学院にいるのです。あのあこがれがどうなったかを問うてみるのは、自分にとっては意味のあることなのです。その問いへの、深く考える前の最初の思いは「まどい」です。

 

商学部というのは、携わった仕事に一番近い学問で、そこがほかの大学にはないシニア入試という制度を考えてくれたのはラッキーだと思われました。「汚れ」と「理論」のコントラストを直接実感できる筈だからです。もちろん、初めはドキドキしながら久ぶりの教室に出席しました。仕事をしていた40年、ほとんどビジネスに関する理論書を読んだこともなかったので緊張感もやむを得ないことでした。そして、まずつまずきました。教材のテキストや論文がスムーズに読めないのです。一番自分の経験に近いと思った学問の理論書が読めないのはなぜか?むしろ自分の経験から遠い学問や小説のほうが読みやすいと思われるのはなぜか?しばらくして、近いから逆に自分の読み方に問題が生じているのだとわかりました。つまり、仕事の時のフレームワークでテキストを読んでいたのです。

 

マーケティングの仕事の中心はコミュニケーションです。社内、得意先、消費者、サプライヤー、時には学会や行政などに企業のメッセージを届け、自社(あるいは自分)の思う方向にそれらのステークホルダーをガイドすることが自分の仕事でした。そのため、最も重要なことは「分かってもらうこと」だったのです。しかも、短い時間で。相手はこちらの思いなど興味がないのです。そのために時間を割く義務もないのです。ですから、最も分かりやすい表現で、短く簡潔な文書が不可欠でした(15秒コマーシャルはその極致)。社内文書には「1ペ-ジルール」まであったほどです。ですから、文書の書き方もどうすれば簡潔にできるか、それで分かってもらえるかに力点が置かれました。そのための方策として箇条書きが多用されました。パラグラフを明確にし、パラグラフ間の論理的関係も理解しやすくなるよう努力することが前提だったのです。

 

学術書であるテキストにそんなことを期待するのは、そもそもターゲットも違い、お門違いでしょう。ビジネス文書と違い、細目にわたる分析と論理の複雑な積み重ねが本領です。それに従い、文体も全く異なったものになります。実務では過去のことを委しく振り返ることもありませんが、学術書は既存研究の振り返りも重要です。ビジネス文書にはそんなゆとりもありません。ですから、テキストをスムーズに読めないのは長い間に出来てしまった自分の頭のフレームワークの問題であることは明らかなのですが、最初の「まどい」はなかなか消えません。

 

次に、文書(表現)についての問題はさておき、仕事の経験(内容)そのものは学問の視点からどう評価すべきでしょうか。実務から学問にインプットできるものがあるのだろうかという問題です。これについて、大学院は「汚れ」きった者には、ちょっと重すぎる言葉を用意してくれました。「実践知」です。そしてそれを伝承することが実務の学問化だということのようです。ここでも「まどい」が生じました。たしかに40年の間に少しの成功と数多くの失敗が記憶に残りました。また個人としてはそれらを通じての「学び」と呼べるような思いもあります。「まどい」とは、果たしてそれが伝承できる「知」であるかどうの迷いのことです。経験の「学び」は個人のなかでは痛切で、その時の感情や「汚れ」とともにかなり混沌としたものなのです。整理できないし、整理したら別のものになってしまうと思われます。

 

こんな経験を通じての個人的「学び」を「暗黙知」と呼んだ方がいます。とても上手な表現で世界的にも普及したそうです。職人が長年かかって経験的に獲得し、なかなか言葉にしづらい技のようなものをさすのでしょう。言葉にしづらいという点がポイントです。個人に止まって容易に伝承できないのです。「暗黙知」という用語を普及した方は、弟子が師匠の技(「暗黙知」)を一対一で学んだり、時には盗んだりして自分のものにする過程を「共同化」と呼んでいます。この段階でも、もともとの「暗黙知」がそのまままったく変わらずに移行したことではないでしょう。弟子の色が加わり、師匠の何かが失われるでしょう。それでも、エッセンスは残っているかもしません。しかし、これだけでは伝承(学問化)とはいえないでしょう。どうしても多くの人間が理解するようなレベルまで運ばなければなりません。彼はそれを「表出化」と呼び、そうして作られる「知」を「形式知」(これはあまり美しくない。明示的知識という人もいるが暗黙知に対して座りが悪い)と名付けました。言葉で明示するのです。

 

ここで「まどい」が再登場です。言語化されたこれは、自分の経験したあの痛切なものなのかという問いです。それは言葉にならないけれども大切な思いなのです。つまり自分の経験は「知」にはならないし、理論化できないという疑念を否定できません。文書における長年の実務でできてしまったフレームワークが学門を吸収するときの「入り」に問題を生じ、経験(「暗黙知」)を理論化するという学門への「出」のプロセスにも疑問が生ずることになります。両方に「まどい」があるのです。

 

勿論、この「まどい」の二乗の簡単な解決策はありません。あるいは単に勉強不足だけの話かもしれませんし、自分の経験の貧しさが問題なのかもしれません。自分の経験に近い学問であることが、かえって裏目にでたのかもしれないと思うこともあります。ずいぶんな年になって、子供のないものねだりのようだと反省しそうになります。けれども、足をひっぱるように見える長い間の経験がそれを止めます。実務にも困難はつきものです。そこでいつも出てくるピンチヒッターは「なんとかなる」という、横着なスタンスでした。ですから実務の「汚れ」と学問の「汚れ」のなさの間の隘路を通り抜けることについても「なんとかなる」と思いながら、あのあこがれを諦めていないというのが個人的な現状報告になります。(2012年入学:保浦)

 

「商学研究論集」への挑戦/投稿のすすめ。

2017-6-18

明治大学商学研究科の紀要論文に関する少々の歴史と傾向を調査した。(出所は商学研究論集第1号~46号目次、延べ981名中176名が博士前期課程、805名が博士後期課程)。問題意識として、昨今の投稿者数の激減である。第1号が6名、そののち第4号から右肩あがりに増加して第30号まで20名~37名、しかし第39号から10名台に落ち込み、とうとう第46号では9名となっている。調査の目的は、最近の投稿者数の激減傾向を数値化し、今一度、その意義について考えてみたいと思うに至ったためである。 


 1994年10月20日、当時商学研究委員長の高川清明教授は、『商学研究論集』第1号の発刊にあたり、「商学研究の対象領域である市場は、経済のボーダレス化や先物市場の展開などの現象にみられるように、空間的にも時間的にも早いテンポで拡大してきている。それだけに、商学の研究は、以前にもまして重要性を帯びてきているのである。商学研究科の学生諸君は、このことを十分に認識して自らの研究テーマに関し、いっそう研鑽されるように期待する。そして、その研究成果公表の場である『商学研究論集』が、アカデミズムの香り高い研究誌となるよう望むものである。」と述べている。 高川教授は、『商学研究論集』発行の意義を、名称が「明治大学大学院紀要商学篇」から変更されただけでなく、各研究科がそれぞれ独自に、大学院生の研究誌を持つことになったことにあることを強調している。つまり、大学院の研究活動の一層の促進と学問的な水準のいっそうの向上を意図しているのである。発行頻度は年1回から2回に変更された。

 高川先生が述べているように、今一度『商学研究論集』の意義に立ち返る必要性を感じている。私は、この機会にシニア学生の皆様に『商学研究論集』について考えていただければ幸甚です。紀要論文に挑戦することで多くを得ることができる。それらは論述の方法と論文形式の修練を指し、必ず修士論文作成の一助となると思われる。最後に、2012年度から開始されたシニア入試制度により入学した学生の投稿者数をみると、第38号1名、40号1名、45号1名、46号2名、47号に数名となっている。『商学研究論集』の意義を再考することで、研究活動の在り方を考えるうえでの端緒となればと思い調査報告させていただきました。調査にあたり、各年度の在学生数、留学生と日本人学生の割合などは不明である。また各年度、研究分野別投稿数なども不明であり今後調査を継続していきたい。(2012入学 竹内正実) 

 

Webサイト GF-Master倶楽部の                                                                         スタートに際して。

はじめまして。

 シニア院生とは2012年度から開始されたシニア入試制度で入学した学生ですが、1期から数えて今年で5期目を迎え、卒業生・在校生合わせて18名を数えるに至りました。人数が増えるにつれ、情報交換のプラットフォームの必要性を感じるようになりました。本日、グローバルフロント(GF)に集った博士前期課程(Master)のシニア院生が発信元となるGF-Master倶楽部のサイトが開設されました。

 この場をお借りして、開設にあたり貴重なご意見を頂戴しました大学関係者をはじめ、万全の準備をしていただいた準備委員の皆様、さらに協力いただいたシニア院生の皆様に対し心より御礼申し上げます。今後はこの情報交換のプラットフォームを最大限に利用して、研究成果をさらに発展させることを期待いたします。

 GF-MASTER倶楽部のサイトの目的は主に3点あると考えます。第一に、卒業したシニア院生と在校のシニア院生との交流、第二に、これから大学院を目指されるシニアの方々にマスターコースの本当の姿ややりがいを知って戴くこと、第三に卒業したシニア院生と在校生の今を教員の皆様、商学研究科事務局の皆様にお知らせすることです。

 

 この機会に、シニア院生の募集要項に記載されている「実践知」の「創造」と「伝承」について考えてみたいと思います。これらの意味するところは、25年以上の実務経験から得られた「実践知」をさらに発展・昇華し、それらを学問的な視座で捉え、次世代へ伝承することです。しかしながらシニア院生の間でこれらの意義に関して、皆さん少しずつ捉え方が異なっています。ここでは、いくつかの論点を紹介してみたいと思います。

 まず「実践知に精通しすぎているため、それを学術的に表現することは困難である」というものです。つまり、ここでは実践知を実務遂行上の価値判断とすれば、実務と学問とのギャップが大きく感じられる点です。実務上の問題点に対する感知能力には長けているものの、学問的な思考方法に慣れていないため、なかなか先行研究にたどりつけないことに遭遇します。

 第二に、「実践知は社会のあまりにも急速で大きな変化により利用(定点観測)できない(そもそも実践知は存在するのかという疑問と同時に、存在するとすればそれは創造できるのか)」という種類の論点です。皆さん実務にはそれぞれ自信を持っているはずです。しかし、あまりにも急速で大きな外部環境の変化により、現在では自身の実務上の経験が必ずしも生かされないこともあると感じています。実践知は、企業がその場その場でベストでなくてもベターの道を選択する過程のようなものにも思えてきます。そして学問が持つ論理性と、実践(実務)を動かしている正解のない解(知)との共存そして統合の方法論がシニア院生特有の問題となっています。

 第三に、「実践知の創造と伝承は誰のためにどのようにするのか」という論点です。次世代への伝承のために、確固たる伝承の意志を持った送り手と受け手の関係構築、伝承の方法として研究成果としての論文を研究と実践の場にいる次の世代にどのように読んで戴くかも考えなければなりません。このwebサイトでも少しずつメッセージを出していきたいと思います。

 第四に、「実践知と本来密接な関係のある学問との差が歴然としているのではないか(学問と実践の時間ギャップあるいは細分化(細かさ)レベルの違い)」については、社会科学系特有の問題です。

これらの疑問に対する統一された回答を求める必要は必ずしもないと思います。しかし、これらはシニア院生で常に議論を深めていきたい論点であると共に、研究活動を通じて常に念頭に置かなければならないテーマとなり、これはシニアで学ぶ醍醐味となります。

 

 人間は知的好奇心が満たされる場所に常に存在したいと思う動物であり、それは多種多様な人材との交流によりあるかなりの部分満たされます。博士前期課程では、ゼミ・講義の中には教員、社会人、学部生、留学生、シニア院生が一堂に会する機会があります。年代、性別、国境、職種などを超えた学びの場で意見交換できる経験は得難いものです。研究活動には苦楽がつきまといます。研究テーマを決定するまでの絞り込みに時間を要し、さらに論文としてどのように纏めるかが難関となります。しかし論文作成を通して自分の考え方を論理的に表現できるようになれば、研究活動は楽しくなります。

 最後に、プラットフォームはできてもコンテンツが充実しなければGF-Master倶楽部は成立しません。「仏作って魂入れず」にならないように、皆様の積極的な情報提供をよろしくお願いいたします。 

                                             以上 

                                  2017-5-26

                                  GF-Master倶楽部リーダー 

                                  竹 内 正 実